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「会社員以外の働き方がある」私が銀行員から起業して広報PRへキャリアチェンジしたきっかけ

こんにちは。子育てをしながらPR会社の代表を務め、中小企業診断士・PRプロデューサーとしても活動しているヨネザワです。

皆さんは、将来について漠然とした不安を感じたことはありますか?

私はあります。新卒で地方銀行に飛び込み、忙しいながらも充実した日々を送っていました。充実感を感じる一方で、心の奥底では「本当にこのままでいいのだろうか」とモヤモヤを感じるようになったのです。

今回は、私が未経験から広報PRの世界に飛び込んだきっかけについて、これまでの経歴を振り返りながらお話したいと思います。キャリアチェンジを考えている方、広報PRの仕事に興味がある方にとって、少しでも参考になれば幸いです。

30歳を前に抱いた将来への不安

大学時代から、何となく「いつかは自分で事業を立ち上げたい」という想いがありました。銀行なら、起業家や経営者の方々と接する機会が多く、それに資金調達や経営に関する知識も学べると思ったんです。

銀行で働き始めて数年が経ち、30歳を目前にした頃、ふと「このままでいいのだろうか」と思ったんです。仕事は充実していましたが、このまま組織の中でキャリアを重ねていくことが、本当に自分の望む道なのか、漠然とした不安を感じるようになっていました。

そんな状況を変えるきっかけとなったのが、パラレルキャリアのセミナーに参加したこと。参加者の多くが、NPOやボランティア活動、地域活動など、本業以外にも活動していたんです。

セミナー後、参加者の生き生きとした表情が忘れられませんでした。会社員として働くことだけが人生ではない。そんな多様な生き方があることに衝撃を受けると同時に、心がワクワクする感覚を覚えました。

パラレルキャリアとの出会いが、起業への想いを後押し

パラレルキャリアへの関心をさらに深めたのは、中小企業診断士の資格取得を目指す中で出会った人々との交流です。

専門資格を活かしてさまざまな業界・職種で活躍する人と接する機会が増えるにつれて、起業・独立という選択肢がより身近で現実的なものになりました。

銀行で培った実務経験や金融知識は、起業する上で大きな強みになる。それに、日々の業務で間近に見てきた経営者の方々の姿が、起業したいという想いを後押しするモチベーションになっていました。

まずは、企業経営を多角的な視点で診断し適切なアドバイスができるようになりたい。そう思い、中小企業診断士の資格取得を目指すことにしました。

銀行員として働きながら勉強に励み、2016年に中小企業診断士の資格を取得。その後、8年勤めた銀行を退職し、東京都の支援機関へ転職しました。

プロジェクト支援で直面した情報発信の難しさ

転職先では、BtoB中小企業が自社製品をBtoC向けに開発する支援プロジェクトを担当しました。

ところが、いざ商品が完成しても「これまでBtoCしかやってこなかったので、BtoCへどう広報すればいいかわからない」という声が多かったんです。

ものづくりや事業づくりに詳しい専門家がついていても、プレスリリースやメディアへのアプローチ方法は誰もわからない。私自身、広報については右も左もわからない状態で、何もできませんでした。

その後、展示会を主催する部署へ異動。プレスリリースの作成やメディアリストの整備といった広報・PRを担当することになりました。

そこで感じたのは、広報の奥深さ。企業や商品の魅力を伝えたいのに、具体的な手段やノウハウがわからず、またしても「何をどうすればいいのか」という段階で立ち止まってしまったんです。

さらに、その後クラウドファンディングの会社へ転職した際も、無力さを痛感しました。広報のノウハウが不足しているがゆえに有効なアプローチができず、資金を集めたい企業や団体の期待に応えられない不甲斐なさ。クラウドファンディングはその存在を知られないと、資金が集まることはありません。

とはいうものの、具体的に広報業務をどう進めていけばいいのか、仕事の進め方やノウハウは手探りのままでした。悔しさを感じると同時に、いつの間にか「もっと広報のスキルを身につけたい」と思うようになっていたんです。

ある一冊の本との出会いが広報の世界に飛び込む決め手に

独立を考えるようになったのは、一冊の本との出会いでした。ふらっと立ち寄った書店で、広報をテーマにした本が目に留まりパラパラとページをめくるとプレスリリースの書き方からフリーランス広報としての働き方まで、実践的なノウハウが書かれていたんです。

「私が欲しかったのはまさにこれだ!」と全身に電流が走ったような衝撃を受けました。暗闇に光が差し込んだように、進むべき道が明確になった瞬間でしたね。

フリーランス広報として再出発。SNS発信から案件獲得

そしてもうひとつ、独立の決め手となったのが不妊治療です。多いと月7回ほど病院に通っていて、さらにホルモン剤の副作用で出社できない日もあって。そうなると、私が担当している仕事を他のメンバーにお願いすることになるので、迷惑をかけてしまうことに申し訳なさを感じていました。

そんな生活が1年半続き、心身ともに疲れきってしまったんです。治療に集中するため、自分のペースで仕事ができるフリーになることを決めました。

フリーに転身後、まずは自分が運営していた「本屋うさぎ道」という、シェア型本屋のなかにある一棚本屋を広報の実践の場にしました。

試しにイベントを考えてプレスリリースを1本出したところ、ちょうどうさぎ年に変わるタイミングでもあったことから、事後取材も含めると13メディアに取り上げてもらえたんです。

そのことをSNSで発信すると、知人や元同僚のつながりから「今度本を出すから、出版PRを手伝ってほしい」「ベンチャーの広報としてきてほしい」などの依頼をいただくようになりました。

フリーランス広報は成果が見えづらいため、「どのメディアに掲載されたか」をSNSで発信することは、実績をわかりやすく伝える一つの方法だと思います。もちろん、大事なのは「どこにどう掲載されたか」よりも「その掲載でどのようなアウトカム(成果)があったのか」ですが、わかりやすいのは掲載実績ですね。

想像以上に反響があり、お客様のおかげで、今は広報PRと中小企業診断士事業で生活できるようになりました。紆余曲折を経て個人事業主から法人化したのですが、それはまた次回お話したいと思います。

まとめ

自社製品を世の中に届けたいという経営者の熱い思いに触れたことで、「自分がやりたいこと」を再発見できました。

銀行員を辞めてフリーランスや法人化にも挑戦し、広報が持つ社会を動かす力を信じながら、これからもこの道を歩み続けます。


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