論理的思考の落とし穴
こんにちは、おたけです。
今回は、立派な社会人になるために非常に重要なスキルである、「論理的思考力」について考えていきたいと思います。
本テーマの記事第一弾として、「論理的思考の落とし穴」というテーマで書いていきたいと思います。
なぜこのような題目にしたかというと、私が5年ほど開発職を経験した中で、「論理的思考がまるでできていない社員」よりも、「論理的思考ができている気になっているが、実際はできていない社員」の方が圧倒的に多いように感じたからです。もちろん私自身も完璧なロジカル人間なわけではないですが、人よりも論理的思考や、言語化力には長けていると自負しています。ですので、もし「自分の論理的思考力を伸ばしたい!」と考えている方や、自分のロジカルシンキングスキルに不安を感じている方がいらっしゃいましたら、ぜひ本記事に目を通していただくと、もしかしたら、もう一度論理的思考力とは何かを考え直す機会になり、新たな発見があるかもしれません。
※筆者である私はただの1人の社会人であり、論理的思考の専門家ではないので、多少の認識の齟齬などは大目に見ていただけると幸いです。
論理的思考とは
「論理的思考の落とし穴」というタイトルの記事を書くうえで、そもそも論理的思考とは何かを整理することを避けては通れないと思ったので、少しおさらいしておきます。
Wikipediaには下記のように記載されています。
ロジカルシンキング(logical thinking)とは、一貫していて筋が通っている考え方、あるいは説明の仕方のことである。
これだけではよく分かりません。私の解釈では、物事を感覚的にこうだ!と決めるのではなく、理論的な根拠をもってこうだ!と考えることだと思っています。天才的な感性によって正解を当てることができるごく一部の人間は、自分の感覚に従った方が何事もうまくいきそうですが、私みたいな凡人は感覚で物事を決めるよりも、論理的思考を極め、根拠を持って物事を決めた方がうまくいくことが多いです。つまり、一般的な社会人にとって論理的思考力は、仕事を進めるうえで、正しい判断ができる確率を上げられる非常に強力な武器であることは間違いないと思います。
もう少し具体的な思考法についても整理しておきます。ロジカルシンキングの代表的な2つの思考法として「演繹法」と「帰納法」という考え方があります。
「演繹法」とは、一般論や科学的法則のような前提となる事柄をもとに結論を導き出す推論法です。
(例)
一般論①: 全ての哺乳類は肺で呼吸する
一般論②: イルカは哺乳類である
結論: イルカは肺で呼吸する
「帰納法」とは、複数の事象から得られたヒントをもとに結論を導き出す推論法です。
(例)
事象①: カラスAは黒い
事象②: カラスBは黒い
事象③: カラスCは黒い
結論: カラスは黒い生き物だと考えられる。
これら両方の推論法をうまく駆使して、筋の通った結論を出せる人が、「論理的思考力が高い人」と言えるでしょう。
筆者が考える、理想的な論理的思考
ここからは、私の個人的な意見も含みますので、専門家の方から見たら「それは違うだろ!」という箇所があるかもしれないことご了承ください。
仮に答えが分からない難題があったとして、その正解を論理的思考により導き出そうとした際に、私の考えでは、演繹法のみで筋が通った仮説を立てられた場合が最も正解に近い仮説であると考えています。演繹法は、一般論や科学的法則をもとにした不変の真理を用いた推論であるため、演繹法のみで理論構築できる場合は最も仮説の精度が高いはずです。上記のイルカの例でも、「全ての哺乳類は肺呼吸」と「イルカは哺乳類」から導き出される「イルカは肺呼吸」という結論は、非常に納得性が高いですよね?一方で、「カラスABCはいずれも黒いので、カラスが黒い生き物だと考えられる」という結論は、「カラスDが黒くないかもしれないじゃん」という疑いが残っている限り、演繹法で導かれる結論よりも信ぴょう性が低いです。
じゃあ、物事全て演繹法で考えればいいのかというと、全くそういうわけではありません。何故なら、社会人が直面する問題は一般論や科学的法則のみで解決できるほど簡単な問題は滅多にないからです。例えば、ある装置Aが故障したとしましょう。その原因を理論的な考察のみで突き止められたらハッピーですが、実際は「何だかよく分からないけど故障している」状態がほとんどであり、考えてもよく分からないため経験則で解決したり、検証を何度も重ねることで原因を突き止めたりする方がよくあることです。こういった正解がよく分からないシチュエーションにおいて、なるべく高効率で正解に辿り着ける能力が高い人が、「問題解決力が高い」社会人と言えるでしょう。そしてその問題解決力の高さは論理的思考力の高さと比例し、さらには「演繹」と「帰納」のうち、「演繹の割合が高ければ高いほど考察の精度が高くなり、正解に近づく」と私は考えています。これが、私が考える社会人における理想の論理的思考です。
論理的思考の落とし穴
ここからやっと本題についてです。私は5年以上、論理的思考力が大事な開発職で仕事をしてきました。その中で、「論理的思考ができているように見えて、実際はできていないのでは?」と感じる技術者が多いなという感触を持っています。私は元々こういった思考法などについて考えるのが好きなので、昔から「こういう視点で物事を考えた方がうまくいくなぁ」とか、試行錯誤してきた側の人間なのですが、意外と理想の論理的思考とはどんなのか、イマイチ分からないまま仕事をしている人の方が多いのではないかなと最近は思っています。具体的に言うと、演繹的であればあるほど仮説や結論の精度が高くなるという考え方に反して、問題解決のほとんど全てを「帰納法」に依存しており、納得感が低い仮説を論じる方が非常に多いように感じます。
難しい言葉を多用しているので、具体例を見ていきます。
(例)
ある工場で装置Aが突然停止する不具合が発生しました。技術者Bは「この装置の不具合は過去にほとんど冷却ファンの故障が原因だった」と経験から考え、まず冷却ファンを交換することにしました。しかし、不具合は解消されませんでした。
技術者Bは次に、「次によくある原因はセンサーの異常だ」と考え、センサーを交換してみましたが、これでも問題は解決しませんでした。
技術者Bは経験則と消去法(帰納的な考え方)に基づいて次々と仮説を立てて検証しましたが、それらはいずれも間違っていました。
一方で技術者Cは、装置Aの停止に関わる科学的な原理を理解したうえで、装置内の温度、圧力、電流などのデータを測定し、その結果をもとに仮説を立てました(演繹と帰納の組み合わせ)。そして、「装置が過熱しているために自動停止した可能性がある」という仮説を立て、温度管理の問題や冷却システム全体に問題がないかを調査し、見事に原因を突き止めることができました。
上記の例は、技術者Cが原因分析の精度が高かったという事例になるように私が意図的に作った話なので、必ずしも上記のような結果になるとは限らないのはその通りです。しかし、「装置Aが故障した」という問題が難題であればあるほど、技術者Cの方が効率よく解決に近づけると考えています。技術者Bは良くも悪くも過去の経験(帰納法)に依存しているため、「お決まりの故障パターン」であれば簡単に解決できますが、「これまでになかった故障」だった途端に、原因究明に難航することが容易に想像できます。
一方で、技術者Cは本取り組みの視点が演繹的であり、「今回の故障は⚪︎⚪︎というシチュエーション、⚪︎⚪︎という事象であることから、理論上は⚪︎⚪︎か⚪︎⚪︎が原因である可能性が高く、⚪︎⚪︎と⚪︎⚪︎を検証すれば解決に近づける」という観点で理論上確率が高いものから検証していけるので、解決スピードが技術者Bよりも早いことが想像できます。
技術者Cのように、演繹法によって原因のパターンを理論で絞り込み、その後は検証による新たな事象から帰納的に考察することで、原因を突き止めるというプロセスで問題解決することが、答えが見えづらい難題を解くうえで最も効率的で、理に適っているというのが私の考えです。そして、「論理的思考の落とし穴」とは、技術者Bのように帰納法に依存しすぎた考え方のことを指しています。
いかがだったでしょうか。あくまで私個人の意見でありますので、そのまま鵜呑みにするというよりは、この記事をきっかけに、自分の思考の傾向を考え直したり、読者の皆さんにとって理想の問題解決法とはどんなものかを考える機会になったら嬉しいです。