わたしも幸せジプシーだった
世の中の幸福論
溢れかえる情報の中で、「幸せになりたい人」のために書かれた情報が
山ほどありますね。
「幸せになりたい」っていう人って、もうすでに満ち足りてるし、十分生活できる環境だったりします。
でも、もっと欲しい。
人間の欲というか、自然の摂理というか。
人間て、本当によく深い。
だから、生活が豊かになったというのも納得。
模索の日々
わたしも、例に漏れず幸せを探し続けて、やれ本だーやれセミナーやと
いそいそと「幸せ探求」に勤しんでいました。
でもね、わたしの心は満たされることはありませんでした。
「自分で決めたらいいんだよ」と、言われても、
「でも‥」と、いう自分がいる。
「好きに生きたらいいんだよ」と、言われても、
「でも‥」と、延々と繰り返す。
そう。
結局、いくら探して解決策を見つけても
「やらない」と決めていたのは「わたし」でした。
痛い目見て気づく
そのころは、家族ともギスギスしていましたし、心を許せる友達もいませんでした。
みんな敵!四面楚歌!!
ガルガル言ってるわたしを、果たして家族はどう見ていたのか‥かわいそうな私、誰もわかってくれない、周りの環境に噛み付いて離さない、
まるでピラニアのよう。
どう見ても、幸せに縁がない感じ笑
ま、痛い目見ましたよ。
旦那とは離婚の危機になるし、子どもは学校行かないと泣くし、私は鬱になるし。散々でした。
結局
自分が原因だったんだと気づくまで、多くの人を傷つけたし、自分も傷つきました。そしてね、目の前にいる旦那が、先生でした。
わたし、ずっと旦那のように生きたかった。自由で、周りからも大切にされて、クヨクヨしない彼に、ずっと憧れを持っていたんだと思います。
結婚て好きだけじゃなくて、こうして自分を成長させてくれるものですね。自分への成長点を刺激するものだとしたら、こんなにピッタリな人はいないかもしれません笑。
そう思うと、運命ってあるのかも♡なんておセンチなことを思っちゃいます笑
それでは。