私の名前は 恋汐りんご
第1話 「君、名前は?」
2021年1月。
世の中は相変わらずコロナ禍で暗い毎日だ。
そんな中、アイドルグループ「バンドじゃないもん!MAXX NAKAYOSHI」の8周年を記念したコンサートツアーはファイナルを迎えた。
場所は東京お台場。
Zepp DiverCity Tokyoである。
1月であることはもちろん、夕方のお台場は冷たい風が吹き、開場を待つバンもんファン(通称:もんスター)の身体を冷やし続けた。
寒空の下、自分の推しメンのメンバーカラーのグッズや、メンバーのコスプレをして着飾る女性ファンなどで賑やかな様相だ。
やっと開場の時間だ。
ステージ近くの席に座れるプレミアムチケットを持ったファンから続々と入場していく。
事前にコロナに感染していない旨を記したアンケートとチケットの整理番号をスタッフに見せ、ファンの列はZeppの中に吸い込まれていく。
会場内は、真冬の空とは真逆の熱気に包まれていた。
全国6ヶ所を周り、ファイナルを迎えるライブへの期待感。
そして、コロナの影響で長い間会えない状況を脱し、久々に再会したファン同士の挨拶。
この時はまだこの後のトラブルを知る者は1人もいないのであった。
開演15分前。
会場のロビーではツアーグッズなどの物販の列もなくなり、さっきまでの喧騒な空気が嘘のようだった。
物販を仕切っていた「いわちゃん」こと岩田マネージャーの元に、1人のスタッフが猛烈な勢いで走ってきた。
「い、岩田さん!!汐りんがっ!!!」
バンもんメンバー、[恋するりんご色担当]恋汐りんごにハプニングが起きたようだ。
その必死な形相で只事ではない空気を一瞬で悟った岩田マネージャーは、急いで楽屋に向かった。
「汐りんどうしたのっ!」
楽屋のドアが開ききる前に、事態を把握した。
立ち尽くすメンバー。その前には足を押さえてうずくまる恋汐りんごの姿があった。
「ダンスの最終確認をしていた汐りんが、足を滑らせて、、、」
汐りんと同期でメンバー入りした[サディステックブルー担当]のななせぐみが、未だかつて見せたことがない、青ざめた顔で岩田マネージャーに説明した。
「汐、大丈夫、、?どうしよう、、、」
[メルヘングリーン担当]の望月みゆだ。
芯の強い印象の望月も今回ばかりは弱気に見えた。
重い空気と、少しばかりの沈黙を経て
「今から汐りん抜きのフォーメーションで再度チェックしましょう。開演時間を1時間遅らせます。」岩田マネージャーは、まさに苦渋の決断を口にした。
「私はスタッフみんなに伝えてきます。みんなは急いでフォーメーションを確認してて。」
岩田マネージャーは再びロビーに向かった。
静かになったロビーにスタッフが集まり、岩田マネージャーから現在の状況の説明が行われた。
「今から急に無理ですよ!」「そんな無茶な事、、でも、今から延期なんて言ったら、ファンが離れてしまうかもしれませんね。。」
様々な意見が飛び交うが、もちろん最善の解決方法は見つからない。
話し合うスタッフの元に1人のファンが近づいてきた。
「あのぅ、、物販の列はどちらでしょうか?初めてお台場に来たもので、迷子になってしまって、、」
そう話しかけようとした瞬間、岩田マネージャーの声が耳に入った。
「ケガの汐りんの代わりがいれば話は別だけど。。汐りんの歌唱パート、ダンス。全て把握している人なんていないもの!汐りん抜きでやるしかないじゃない!」
ファンは一瞬で全てを悟った。
「汐りんが、、、?ケガ、、、?
でも、開演15分前だし、、、それでスタッフさん達が慌てて打ち合わせしてるってワケなのな。。。」
恋汐りんごが常に使っている「汐りん語」を使うもんスター。
まさに今怪我をして窮地に立たされている恋汐りんごのファンだった。
今日初めて東京にやってきた、そして初めてのバンもんライブで、推しメンである恋汐りんごのピンチを知ってしまった瞬間であった。
「せっかく東京まできたのに、汐りんが見れないなんて、、、。」
肩を落としホールに向かうファンの背中に、打ち合わせを終えたスタッフ同士の声が届いた。
「恋汐りんごさんの代わりを出来る人なんていないもんな。しょうがないよな。俺は照明のチェックしてくるよ」
「汐りんの代わり、、、?」
ファンの顔つきが明らかに変わった瞬間、岩田マネージャーの元に走り寄った。
「汐りんの代わり、出来ます!歌もダンスも、全部出来ます!!」
狐につままれた表情を露わにした岩田マネージャーだったが、ファンの顔を覗き込み、諭すように言った。
「その気持ちはありがたいけど、、ごめんなさい。素人が急に出来るものじゃな、、、はっ!! あなた、、汐りん、、、? いや、そんなわけないわよね。汐りんは楽屋で休んでるんだもん。」
楽屋に向かい再び歩き出した岩田マネージャーだったが、やはり後ろに汐りんによく似たオーラのようなものを感じ、振り返った。
そこには、初めてライブに訪れた一ファンではなく、「恋汐りんごへの愛」という言葉では到底表現できない何かを纏った1人の人間の姿があった。
岩田マネージャーはその姿に恋汐りんごが重なって見えた。
「こっちに来てちょうだい」
ファンの手を力強く引き、楽屋に向かった。
楽屋では、俯いて肩を震わせる恋汐りんご。
そして、フォーメーションを確認するメンバーの姿があった。
しかし、バンもんリーダー[ピンクのドラムスメ]こと鈴姫みさこはフォーメーションの確認に参加せず、腕を組み、目を瞑り、椅子に座って何かを考えているようだった。
その刹那、みさこは目を見開いた。
それと同時に、ファンの手を乱暴に引き岩田マネージャーが楽屋に入ってきた。
「汐りんの代わりを見つけました。予定通り6人体制でステージに立ってもらいます」
「そ、そんなの無理でしょ!」
その言葉を発したのは[ディープマリンブルー担当]大桃子サンライズだ。
それに呼応するかのように[コットンイエロー担当]甘夏ゆずも思わず言葉を発した。
「そんな簡単に言うなー!」
その言葉も当然だ。
素人がアイドルの代わりなど簡単に務まるはずがない。
メンバーが反対する中、リーダーのみさこは一点を見つめていた。
「やるしかありません!やらないと、バンもんは終わってしまいます!」
岩田マネージャーはみさこに向かって思いの丈をぶつけた。
「だって、衣装のサイズとかあるじゃん?身長何センチ?ウエストとかも平気かなぁ?」ぐみがファンに向かって質問をした。
「153センチです。」
「うーん、大丈夫かなぁ?ぐみは厳しいと思うよ?」
ぐみは、ファンの前で見せるような、柔らかい、崩した言い方をすれば「ゆるい雰囲気」を出しながら話した。
すると、ファンは腕から下げていたトートバッグから何かを取り出した。
「大丈夫です。汐りんに憧れて、汐りんの衣装を手作りしてるんです。ライブが始まる前に着替えて応援しようと思ってたので持参してましたから。」
ロビーで使っていた汐りん語はもうなくなっていた。決死の覚悟が見て取れる。
「おぉ!ナイスタイミングだね!」ぐみは代打で出演することに一定の理解を示しているようだった。
「でも、汐りんは黒髪のロングでツインテールだよ?ショートカットだもん、すぐにお客さんにも汐りんじゃないってバレるよ!ヤバいよ!」ゆずが言うのも当然だ。
恋汐りんごの黒髪のツインテールは、トレードマークだ。
「うーん、ちょっと厳しいよね」望月も難色を示した。
「それも大丈夫です。汐りんになりきるために、ウィッグも持ってますから。」
そう言って、バッグからウィッグも取り出した。
その目は情熱を感じさせる熱い眼差しと、覚悟を決めた冷静なオーラのようなものをメンバーに感じさせた。
「あと10分で開演です。任せてください。」
そう言葉を発した。
その姿はもはや、一ファンではなく、バンもんメンバーの一員そのものだ。
時間が経てば経つほど、恋汐りんごが乗り移り、いわゆるゾーンに入っていった。
もう緊張も何もない。淡々と話すファンに、みさこは言った。
「分かりました。すぐに着替えてちょうだい。」
メンバー一同「みさこ!本気!!??」
「私は信じる。自分の直感、岩ちゃんの直感を、、」
「さぁ、早く着替えて最終確認をしましょう。」
「えー、こんなに不安なライブ今までないよ、、、」桃子はそう言った。
しかし、みさこと岩田マネージャーは、お互い目を合わせて頷いた。
「やれる」と確信した表情だ。
自作の汐りんの衣装に着替える。
コロナ禍で行われた、8周年記念ライブリクエストアワードでお披露目した、黒い衣装に着替える姿を見て望月は
「初お披露目して数ヶ月なのに、完コピして作ってある!」
「裁縫得意なんで。」もはや一瞬不機嫌にも見えてしまうような、冷静な顔で答えた。
もう素人ではない。もはや大事なツアーファイナルのライブに挑むプロのアイドルの表情だ。
恋汐りんごの衣装はいわゆるガーターストッキングだ。
それを装着すれば着替えるは終わる。
着替えるを見つめているメンバーの後方から、みさこが近づいていく。
その表情は、期待感、信頼感、、表現が難しいがポジティブなものだった。
「そういえば、名前も聞いてなかったね!
ストッキングを穿きながらでいいから、自己紹介してもらえるかな?」
君、名前は?」
ストッキングに右足を通しながら言った。
「僕は馬場 保(ばば たもつ)っス。山梨出身の51歳っス。」
第2話に続く。
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