文字を右と左から讀む。
まず最初に、讀むとは古代金の代わりになっていた貝殻を網に入れて交換できる程の情報を謹み話すようなことを言いました。この記事の情報が果たして謹み話す程のものかは分かりませんが…
現代の読むとは、几を冖で覆い足で運び、謹み話す事…
もしくは、儿(人)を冖で覆い足で運び、謹み話す事…
読むは矛となる先端のような武器を売る為に、謹み話される情報を見る事であると言えるのかもしれませんし、儿(ヒト)を売る為の情報である事も考えられます。私の情報は誰かを攻撃する為のものではないので買の字の讀むにさせて頂きました。
さて…右からよむ文字と左からよむ文字が違う意味を成す事は理解できるだろうか? 本来、文字というものは絵に意味を込めたものとなる。
つまり、元の形は絵であるということだ。絵は右から見ることもできるし、左から見ることもできる。
例えば、「此の文章を漢字のみで右と左から讀むとすれば…」
此文章漢字右左讀→これを全て絵で読む
「此」
「立ち止まる足」の象形と「年老いた女性」の象形から、「歩幅をわずかに開いて踏む」くらいの距離にある。
「文」
「人の胸を開いてそこに入れ墨の模様を描く」象形から「模様」のイメージ
「章」
「墨だまりのついた大きな入れ墨用の針」の象形から、「美しい模様(彩-あや)・しるし」を意味する。
「漢」
「火などの災いにあって祈る巫女(みこ-神に仕える女性)」の象形
「災い・苦しみ」の意味)から「大きな災難をもたらす川」を意味する「漢」という漢字
「字」
「屋根・家屋」の象形(「屋根、家」の意味)と「頭部が大きく手・足のなよやかな乳児」の象形(「子」の意味)から、「家の中で子を育てる」を意味する「字」という漢字が成り立ちました。
「右」
「右手」の象形(「右手」の意味)と「口」の象形(「祈りの言葉」の意味)から、「神の助け」、「みぎ」を意味する「右」という漢字が成り立ちました。
「左」
「左手」の象形と「工具」の象形から工具を持つ左手を意味し、そこから、「ひだり」を意味する「左」という漢字が成り立ちました。また、左・右の手が相互に助けあう事から「助ける」の意味も表すようになりました。
「讀」
「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつし(慎・謹)んで)言う」の意味)と「足が窪(くぼ)みから出る象形(「出る」の意味)と網の象形と貝(貨幣)の象形(網をかぶせ、財貨を取り入れる、「買う」の意味)」
これを文章にすると、
「此文章漢字右左讀」
→立ち止まり、この刺青のように美しい紋様を
大きな災いから、子を守る為に右左からよむ価値がある。
みたいな意味になりそうだと思います(*´ω`*)テキトウ
そして、これを「讀」から讀んだ場合は意味がもっと変化します。
「此文章漢字右左讀」(※讀の(賣)から絵を読みます。)
→貝が得られるような価値のある情報を謹み話すよ、
左右から子供に大きな災いが押し寄せている。
美しい紋様を刺繍して立ち止まれ
文章として右から讀む事を想定していない文章ですので、違和感があるものになりましたが、右からよんだ場合には意符(賣)から絵を讀み、後に部首の言の絵を讀むことになります。
本当の意味で「字」を知ると、全く違う景色が見えてきます。
ただし、今のように字を眺める時間も無い程に追い詰められる世の中では、その真意を知る事など難しい話なのでしょうな…。