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内なるこどもって何だろう

「子どものころの思い出・原風景」を描こうというワークがあった。

小3の秋から飼い始めた猫と自分を描いた。もちろんその猫はもういないけど。私の友達で家族だった猫。あんなに大切だったのに、人生で一度もその猫の絵を描いたことがなかったと思う。だから初めて描いた絵だ。

その周りにぐるぐると水色の線を適当に描き、黄色のクレヨンに持ち替えた時、たまたま重なった部分が緑になっておもしろかった。

絵の具じゃなくて、クレヨンでも重なった瞬間、こうも簡単に緑になるんかー!と発見したのがおもしろくて、赤+青、赤+黄などの重ね塗りをしながらオオ〜ってなった。わりと無心だったと思う。

子どもの頃を思い出して書くというより、なんかそれを描いてる瞬間の自分はこどもだったと思う。

心理を読み解くことと絵が深い関係にあるのをとても体感した。気づくこともあった。おえかきの時間があってとてもよかった。

こどもがクレヨンで描く姿を身近で見る機会が多いものの、自分が手にとって白い画用紙1枚に能動的に塗りこんでいくのはいつぶりだったかなぁ。楽しかった。

年齢をとっぱらった時、特に内面・社会性に関して。

こどもはいつ大人になるのかなーと、自分が産んだ小6の子どもを見ながらふと思った。

もうひとりの小2の子に対しては、"こどもだな"と思う。でも小6の子に対しては、"こどもから大人になりかけてるな"と感じる。

街頭インタビューを受けてる知らない高校生や大学生が映るのを見ると、

「(こどもという存在として)まだまだかわいいなぁ。(喋る内容に関して)でもかなり大人っぽい意見を言うなぁ、さすが。」という感覚。しかし彼らを総じて"おとな"とは思わない。

どこからおとなになるんかな〜〜。自分自身に関しては、「しっかり大人だな。」と思う。

でも、うれしいこととか悲しむこととかに関しては、その内容ってこどもの頃とそないに変わってないようにも思う。

昨日も、空腹の中食べた蕎麦が美味しすぎて沁みすぎて、目をつむってしばし幸せを噛み締めていた。食べ物が身体に入ることそのものに幸せを感じた。

自分が咀嚼するものが身体にじゅわァァと染み込んでいって、血液になって、脳に到達!!!みたいな感覚だった。それって別に大人だから感じられる幸せというわけでもない気もした。

子どもはよく寝る。

夜中ベッドから、ごろり、ごろりぃん、ドサァ。とゆっくり落ちた小2。がさ、ごそ・・・とベッドに戻り、次の呼吸からはあっけなく入眠。きっと夢の続きも見れよう(もはやずっと寝てた!?笑)。こどもは眠ることが得意。よかよか。


あなたの「内なるこども」は何ですか。

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