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40才の主婦の遺書「まえがき」「死生観」お試し読み

はじめに


 そもそも私がポッドキャスト=ラジオの配信を始めたかった一番の理由は、話すことは苦手だけれど、人と話したかったからだ。

三人以上の会話になると、基本的に聞き役に回る。

我慢して人の話を聞いているのではなく、皆の会話を聞くのは楽しい。

しかしながら、当然私にも(話したいな)という気持ちがわいてくる。心に感じたことを声に出したいと思うことは人間の本能であろう。

何も考えずに心のまま話せばいいのに、そのタイミングをつかむのにやたらと時間をかけてしまう。私が話していいんだろか?割り込んでしまう形になるのでは?と。

その結果、あっというまに解散の時間になり、ほんとうに話したかったことを話すことができず、帰宅後に「今日の飲み会、どっと疲れた」とソファになだれこむことがしばしばあった。

 私は誰かと話をしたかったし、話を聞いてもらいたかったのかもしれない。その欲求が満たされていなかったから、それを求めていたのかもしれない。

対談ラジオという形にもこだわりがあった。一人で始めることもできた。しかし、一人で思ったこと感じたことを話し続けるのは、自分の思想だったり固定概念が強く出てしまって独りよがりな暴走ラジオになってしまいそうで、それだけは絶対に嫌だった。

だから、ゲストを招いて対談形式のラジオというのは曲げられなかった。

そのこだわりのおかげで、私のラジオに対するやる気に反して肝心のゲストはまあ見つからなかった。

「ラジオをしたいんやけど、ゲストに来てくれませんか?ほんと、喋りたいことを喋るだけでいいので」

 と、知り合いに声をかけ続けたが、そりゃあこれから作るラジオなのだから、雰囲気も分からなければイメージもわかない。有名人でも何かを成し遂げた人物でもない、知る人ぞ知るインフルエンサーでもなく、大阪に住むただの四十路の女という肩書きくらいしかなかったため、THE何者なのかわからない。

そんな人からいきなり「これから作るラジオに出て」と言われて二つ返事で出る人の方が変わり者だと思う。

 よって、そんなわけのわからない第一回お多福ラジオのゲストオファーを控えめに断ってくださった方々は、紛れもなく常識人であると言える。

このラジオではゼロからイチを作ることの大変さを初めて痛感した。そして四十才目前で、そのゼロイチの経験ができて本当によかったとも思っている。

 ラジオをしたかった二つ目の理由としては、遺書として残したかったからだ。

私はけっこう日々、遺書的な感じで想いや考えを残している。もちろん今こうして書いてるまえがきもその心もちだ。文章以外に、耳で聞ける遺書も作らねばという思いに駆られたのだ。

 私の生きる軸は「希望」その反面、いつ何時なにが起こるかわからないよなとも考える。つまりそれってぼんやりと死を考えることなのだけれど、死を考えることはまわりまわってどう生きたいか、どう生きるかと考えることなのだと着地した。

だから私がよく口にする「遺書的な」というのはけっしてネガティブなことではなく、自分の生きた証を残すことに積極的ということであり、私はまだまだ生へ執着している、もっと生きたい。

 そんな私の聞く遺書としてゲストと作っている「お多福ラジオ」のボーナストラックのような、アフタートークのようなものを書きたいとずっと考えていた。

ラジオでは語りきれなかった思いや、今改めて聞き直して感じたこと、もちろん考えが変わったことだってある。そんな想いをこのエッセイに遺したい。
                                                   亀山 ゆき

死生観

 二十人には声をかけたが、首を縦に振る人はいなかった。直接話を持ちかけた方にも、メールなどでかなり丁寧な文章でお誘いした方にも断られた。こんなにも人に断られ続ける経験は初めてだった。

しかしこれっぽっちもめげなかった。人間は目的のためにはどれだけ断られようが粘れるものなのだということが分かった。

グリコの看板がピカピカ光る道頓堀の橋の上で、長めの金髪の毛先をワックスで散らばせ、とんがった靴をはいた若い男性が女性に声をかけまくり、無視をされようが邪険に扱われようがめげることなく、振られた三秒後には次にすれ違う女性に笑顔で声をかけていたのを思い出した。

その切り替えの早さに感心したものだが、今の私なら彼の気持ちが少し分かる。

「今日もダメだったかー」と落ち込む彼に、「おつかれ!私もダメだった!また明日がんばろ!」と缶ビールの一本でも奢ってあげたい。

 誤解をまねかないために先ず声を大にして言うが、記念すべき第一回ゲストのゆかさんは決して非常識人ではない。

「四十路の女がこれから開設する全貌のわからないラジオの一人目になってください」というへんちくりんなお誘いに快諾してくださり、初めての台本作りに真摯に向き合って下さった。振られ続けた私に救いの手をさし出してくれた神様のような方だ。

 そんなゆかさんから話したいテーマを聞かせてもらったとき、実はかなり面食らった。

「死生観」という言葉の意味すらちゃんと理解していなかったため、ひそかに辞書で調べた。そして、ラジオの収録にあたり事前にどんな内容を話したいのかを聞かせていただいた日。

その日聞いたエピソードは私の準備していた「死生観」のキャパシティをゆうに超えてきた。

 その日の夜は、風呂につかりながら頭が回らなくてボーッとしていた。ショックなことがあったとき、よくそんな状態になる。ショックというか、びっくりしたというか、色々な解決しない感情がぐるぐると脳みその中で長距離走しているような感覚に陥る。

あの夜はグラウンド五周分くらいボーッとしたと思う。「質問をまとめたら、近々連絡します」とLINEを送ったまま五日も考えることから逃げていた。しかし、自分が望んだ対談ラジオ。「亀山さんに聞いて欲しいなと思いました」と、勇気を出して話してくださったエピソード。ここで投げ出すわけにはいかない。素直に聞きたいことを聞こう。わからないことは聞こう。ノートを開いて質問を書きなぐっていった。



続きは本書でお楽しみください★


直近のイベントは、熱視線vol.2にて
40才の主婦の遺書を販売いたします!

マーガレット三姉妹のブースで出店しますが、
熱視線に出るのは長女だけです。

長女・次女・三女
表紙・背表紙・見開き・見返りすべて
手作りですべて一点ずつです。

なぜ表紙のコラージュにこだわったかというと、タイトルが遺書なので、遺書ってコピーしないだろうなぁも思って、一つ一つ特別な一冊にしたかったからです。

あと、アートとしても見られる作品にしたかったので、飾れる遺書ってかんじに作りました。自分用の一冊は額にいれて部屋に飾ってます。

こんなふうに

会うと元気になる三姉妹で有名なマーガレット家の三人が熱視線をお花畑にするよ(熱視線は長女のみだけど)

次女、三女の作品もすてきなのです

三姉妹に共通する思いは、
「ものを大切にする気持ち」
「てづくりが好き」
三人の個性をお楽しみください。
24日はぜひ
マーガレット三姉妹のブースに遊びにいらしてくださいね。

エッセイ「40才の主婦の遺書」の元になったラジオはこちらから聴けます。"死生観"のリンクを貼っておきますね。お耳に合いましたらぜひ。

あと、熱視線のほかのブースの皆さんも個性豊かでめちゃめちゃおもしろそうなんですよ・・・今回じっくり事前観察して、この9つはぜったい見に行くぞー!と楽しみにしてるブースについても雑談ラジオでまとめました。お耳に合いましたらぜひ。

さば電子さん、ぷいんぷいん村さん、額装と工作えりんぎさん、凡家さん、りひと工業自動車部さん、プレアデス書房さん、ナカタニコーイチさん、うるい堂書店さん、アストロ温泉さん♨️

もちろん、マーガレットのブースにもぜひ足を運んでくださいね。みなさんと雑談できるの楽しみにしております!


やっぱりコラージュは楽しいなぁ


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