スポーツで大事なのは何だ?
長女が小6の時、好きで参加していたバレーボールへの向き合い方が、私の価値観というか、大切にしたい部分と違いすぎて、戸惑いや批判、続けることへの苛立ちと1年間戦っていた。
何度言っても、伝え方を変えても、響かなかった。根本的な考え方の違いだからしょうがないと、諦めたつもりが諦めきれていなかった。
中学の部活選びで、友だちとキャッキャしながらできそうな候補を聞いて、一安心している。
前提として、私が「真摯に向き合い、向上心を持って、チームで勝つ」とマインドセットしなければ、適当に付き合えるはずだ。
いや、決してやる気がなかった訳では無い。その熱量が違うだけ、と自分に言い聞かせている。
変わって、次女はバレーボールには不向きな体格だ。
小柄で運動神経オバケだから「体操もいいかもよ?」と勧めたが、「バレーがいい」と譲らない。
隣町のチームの自主練(と言っても指導者もいる)に誘ってもらって、参加しはじめたら、輝き具合というか、「楽しいんだろうな」と伝わってくる。
「同学年の子たちと一緒にやるのもいいけど、上手な先輩たちに混ざってるのも楽しそうだったね。」と感想を伝えると、
「うん、人数が少ないのもあったけど、細かく教えてもらえるし、こっちの方が好きかな。」と返ってきた。
こういうことなんだ。
大切にしたいことが違うんだ。
個々が辿り着きたい場所の違い。
自分は何を持って満足するのか。
親子であっても別人格。
親子でも強要してはいけない、当人が大切にしていること。
頭でわかっていても、なかなか心がついていかないけれど、子どもたちの思いを尊重できる大人でありたい。
そのための修行は苦しい…。
さらに、2歳の末っ子もいて、存分に付き合ってあげられないのももどかしい。
2年前、「習い事は付き添いがめんどくさい…」と言っていたけれど、足を突っ込んでみたらハマっている。もちろんめんどくさい事もあるけれど。
子どもの成長とともに、私自身の価値観が変わっていくことが面白くもある。
親だからと諦めていることもある中で、親だから出会えた事もある。
ここに書きながら、10年前くらい「長女とウマが合わない」と、友人に話していた事を思い出した。
「まだ、2歳でウマが合わないとかあるの?」と笑われたけれど、あの頃確かに辛かった。
可愛くないわけでないけれど、噛み合わなさを感じていた。
今、長女を否定するわけでなく、「やっぱりウマが合わないかも」と思ったりする。
ウマが合わないんだから、しょうがない。