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「存在承認」について考える

先日、朝の大好きな番組で、コミュニケーションコーチングを専門にされている山崎洋実さんからのテーマで、「存在承認」という言葉を知りました。

「存在承認」とは?

存在承認とは「あなたがいてくれるだけで私はうれしい」という承認です。

最近、周囲が子育て世代なので、よく「自己肯定感を高める教育」についての話を聞きます。私が見ていた番組でも、ユニセフの調査レポートで、「日本の子供の幸福度が低かった」という結果がきっかけでした。

「褒めよう」と思う気持ちから、どうしても私たちは「かけっこで一番になった」「絵が上手」といった「才能・結果」について触れがちです。才能や結果は人との比較がしやすく、評価がしやすいという特徴があります。

「行動」はどうでしょうか?「試験勉強頑張ってたね」「弟のためによく我慢したね」という行為やプロセスについてを褒められるのも、言われるともちろん嬉しいものです。

ただ不思議なことに、大人になった今、人から「あなたはこれが優れている」と言われても、謙遜も含めて「いやいやいや、、、」と思ってしまうこともあり、「優れている=自信がある」ということでもないのではと感じてしまいます。

そんな中、「存在」について「承認される」というのは、私には新発見。
「一緒にいると安心する」「いてくれて助かる」といったレイヤーです。なんとなくですが、ショップ店員の友人がお客様に「あなたがいるこのお店で買いたいの」と言ってもらって喜んでいたことを思い出して、とても温かい気持ちになりました。確かに、最も自己肯定感を高められるようなコミュニケーションだなと思いました。

また、「存在承認」がいいなと思ったのは、「えらい」「すごい」といった「褒める」という概念から一回切り離して、「あなたがいて、私はこういう気持ちになった」など、関わる他者側の絶対的な感情や感謝を示すことでした。

プロセスにおける成長・変化を見ることが存在承認につながる

存在承認を伝える一歩は、「結果を褒める」でも、「結果でなくプロセスを褒める」でもなく、「プロセスを経ての成長や変化に気づく&伝える」という視点が大事ということ。

また、この「成長や変化に気づく」という点では、まず見る側もよく観察していないとわからないという難しさも感じました。

ポリシーや信念も「存在」?

考えを巡らせていくと、私が他者に好意(激しく承認したい気持ち)や感謝を抱くのは、他者の行動の背景にある「ポリシー」や「信念(哲学)」だと気付きました。

子どものときはポリシーと認識していなくても、意外と大事にしている自分ルールがあったりしたかもなと思い出しました。それが大人になっても自分の根っこになっている気もしますし、そこを気づかれるとなんとも言えないくすぐったさがあります。

「伝える」の場・関係性

「自己」というものは、人との関わり合いの中で認識していくもので、自分自身の輪郭も、他者からの認知や相対性をベースにつくられていくのが実態です。子どもだけでなく大人になった今も、「伝える」「伝えてもらう」コミュニケーションの中で自分の成長や変化を感じています。

なおさらのこと、存在レイヤーへの感謝を伝えることの重要性を今回知ったのですが、、、

さて実践していきたいな!
と思うものの、わたしはオープンな場(例えば社内SNSやピアボーナスサービス)で伝えるときは、そのレイヤーに触れる発言を躊躇ってしまう自分を感じています。
ちょっとわざとらしい感じになるのが嫌だったり、自分の目線で勝手に相手の存在という土台の部分を言語化してしまうことを嫌っているのだと思います。(今度はそこに「伝えた」ことを「見られる」という邪念が入ってしまう)
そしてどうしても「行動」に感謝してしまう…。

一方で、クローズドな場と近しい関係性であれば、「存在承認」としての感謝を伝えたいなと思う気持ちは、より強く思うようになりました。

まずはできるところから、自分の近しい周囲から。
「観察する」・「気づく」・「伝える」のコミュニケーションを「存在承認」というレイヤーを意識しながら活性化して、みんなで幸福度をあげていけるといいなあ〜と思うばかりです👼

真面目になってしまいましたチャンチャン🎉

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