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人の励まし方についての話

2年前くらいに自衛隊に行くためにと僕の劇団を退団した人が久しぶりにご飯に誘ってくれた。

前は黒髪の似合う男の子だったが、今は金髪のお兄ちゃんになっていて会った瞬間全然分からなかった。

彼は自衛隊に入隊し山口や静岡の駐屯地を回り、今は大阪にいるからよければと誘ってくれたのだが、僕はお酒が弱くて飲めないと言ったらスシローを予約してくれた。
回転寿司大好き。

今は大阪の駐屯地に回ってきたのかなと思って話を聞いてみると、どうやら自衛隊を辞めて某有名美術大学に進学することになり、その為に今は大阪に帰ってきてるのだとのこと。

ひっくり返った。
この場では明言は避けるけど、世の大学事情に疎い僕でも聞いたことのある大学だ。話を聞いてると自衛隊に入ったのも学費を稼ぐためだったらしい。

専攻は演劇ではなく映画とかカメラとかそっち方面らしい。
演劇もちょろっとするみたいなことも言ってた。

劇団にいた頃はしょっちゅうアホなことをしてみんなの笑いをとっていた奴も、本当に立派に将来を描き、そしてそのロードマップを順調に進んでいる。
本当にすごいし尊敬する。

最近の僕はADHDと診断され転職を決めはしたが、特に将来について具体的な想像もできていないし、実は不安と焦りで大分後ろ向きだった。
演劇を続けてはいるが収入とかにはならないし、クリエイティブ系の仕事なんてどうやって食っていくか想像もつかない。学校に行ってみたくもあったが、ずっと二の足を踏んでいた。

巷では「転職しよう」とか、「自分の道は自分で決めよう」とか、「ADHDの人はクリエイティブ系の仕事がいい」とか色んな美味いことを言うが、世の中そんなに上手くいく訳はない。
正直どんな言葉を掛けられても後ろ暗い気持ちが残るだけで全然響かなかった。

しかし、今こうして愚直に自分の道を進む元劇団員を目の前にして、とても感銘を受けた。

人を励ます時、僕たちは言葉を使いがちだが、本当に人を励ましたいならば、ひたすらに自分のことを一生懸命に頑張って、その姿を見せることが最も効果があると知った。

悔しいことに、言葉は信念を持った行動には決して敵わない。
行動があるから言葉に重みが生まれる。

言葉が持つ役割は人を励ましたり勇気づけるのではなく、ある一人の行動を他者の行動の原動力に媒介させる、ただそれだけのものなんだと思う。
言葉にするから伝わることがあって、伝わったからこそ受け取り手は行動に移せる。

だからこそ、自分のような言葉を扱う人間はより強く伝わる伝え方を考えていかなくてはならず、その為には胸を張って、誰にも恥じないように行動して生きていかなくてはならない。

ただご飯を食べるだけのつもりがとても励みになった。
会ってよかった。

最後になったが、彼が立派なクリエイターになることを心から願う。

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