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誰かがどこかで繋いでいける社会

答えが出せない患者さんとの『死』の話

『何で神様はすぐに迎えに来てくれんのかね』

 私が担当する患者さんが発した言葉だ。 
 私は現在緩和ケア・終末期に関わる作業療法士だ。
 現在の職場で働き始める前は、長らく脳卒中後遺症の患者さんに関わってきた。そして、『もういっそのこと死んでしまいたい』という言葉を何度も聞いた。

 その度に私はどう答えて良いのか分からずに、ただただ聴くことしかできなかった。
 励ましたほうが良いのか、肯定すべきなのか、否定すべきなのか。正直今でも答えはない。

耐え難い苦痛とは?

 緩和ケアに多少なりとも関わっていれば、私のようなリハビリ職でも『深い鎮静』については触れることになる。
 『耐え難い苦痛』と表現される苦痛は、いったいどのような苦痛なのだろうか・・・と考えることもある。 

 身体的苦痛はある意味本人も第三者からも分かりやすい。ただし、痛みの閾値は人それぞれで、『本人にとっては』耐え難い苦痛となる。
 中には我慢強い人と表現され、痛みに耐える患者さんも実際存在する。その痛みの強さは既に耐え難い苦痛である可能性もある。
 
 では精神的苦痛はどうだろうか。精神的苦痛は本当に分かりにくい。精神的苦痛を感じるポイントも人によって違う。それを『耐え難い苦痛である』と第三者が判断するのは本当に難しい。

 職場での強い指導に対して、ある人は『期待されているから指導される。怒られているうちが花』と考える。
 しかしある人は『なぜ自分だけこれほどまでに怒られなくてはいけないのか。自分はこの会社にいないほうが良いのだろうか』と考える。
 受け取り方が個人によって違うし、苦痛に感じる閾値が違う。今までの環境や経験の影響を受けやすい。
 指導する側も、自分の経験という尺度しか存在しないため、相手がどう受け取っているかを知る術がほとんどない。

うつ病⇒死を願う⇒救われた経験

 わたしは過去にうつ病を経験した。その時の辛さは何と表現したらいいのか今でも分からない。しかし、精神的苦痛を感じていたのは確かだ。
 『もういっそ死んでしまったほうが楽かも知れない』と持っていた薬を全て机に出し、シートから全ての錠剤を出して机に盛ったことがある。
 当時は10種類近くの薬を処方されていたため、盛られた薬の数はまあまあの量だった。
 これでは死ぬことは不可能ということは知っていた。でも、死んで楽になりたいと願っていたのは事実だ。

 作中に、『自殺する人が最後まで握りしめているのは携帯電話』という内容が出てくる。私は正直ハッとした。私も携帯電話を持っていたからだ。
そして信じられないかも知れないが、私が机に盛った薬を眺めている時に3人の友人から次々と着信がきた。
 
 最初は電話に出なかった。しかし3人から何度も何度も繰り返し着信があり、出た。
 電話に出ると聞こえてきた言葉は「やっと出たか。おーい。体調どうよ?」という拍子抜けするような言葉だった。
 その後の内容はあまり覚えていないが、翌朝にまた電話をする約束はした覚えがある。
 後に知ったことだが、電話をかけてきた3人はその日私の様子が少しおかしいと、お互いに電話をかけようと話し合っていたそうだ。
 これもまた覚えていないが、私は薬を大量に机に盛る前に3人のうちの一人に電話をかけていたらしい。
 おそらく『もう死んで楽になりたい』という思いの真裏に『助けて。本当は生きたい』という想いがあったのかも知れない。

 私は3人の友人に救われた。その3人に共通していたのは、私がうつ病で『死にたい』と思うこと、言葉を発することを許してくれていたことだ。
 3人は励ますでもなく、肯定するでもなく、否定するでもなく。ただただそう考え、苦しんでいる私を私として扱ってくれた。
 唯一約束されたのは『死にたい時は死にたいと話し、黙って勝手に死なないこと』だった。

運・格差がある現実

 私の場合はその3人がいわゆるゲートキーパーになった訳だが、これは私が運が良かっただけなのかもしれない。
 3人は同じ作業療法を学んだ仲間であり、うつ病などの精神疾患に対する理解もあり、対応の仕方も多少は知っていた。

 このような対応を全ての人が出来るかというとそうではないことが多いと思う。
 家族でさえもそこまで理解されているというのは多くはないだろう。どうしても過去の経験、今まで出会った人によって個人差が出てくる。
 それが作中にもある『格差』なのではないかと私は感じた。

運・格差ではなく、『死』がタブーとされない社会

 事故や急な病によるどうしようもない『突然死』と安楽死・自殺などの『選ぶ死』。
 いわゆる『選ぶ死』は個人差が出てきてしまう。もしその個人差を乗り越えられるとしたら・・・?と考えた時、やはり『社会』が最後の砦になるような気がする。 
 現状は誰かの死に対する責任が本人・家族・医師などに偏り過ぎていないだろうか。
 自殺にしても、『自己責任』『支えられなかった家族の責任』『自殺を防止できなかった医師の責任』と責任の所在をハッキリさせることが正解という空気感がある。

 『死にたい』と思った時、私のように受け入れて話を聴いてくれる人がいることが『運』ではなく当たりまえの世界になって欲しい。
 それで安楽死を希望する人や自殺者が減るかどうかは正直分からない。しかし『死にたい』と話すこと、元をたどれば『死』をタブーとしない世の中になって欲しいと私は願っている。

今私にできる精一杯のこと。『小さな約束』

 冒頭で述べた言葉を発した患者さんもそうだが、私は仕事で患者さんと必ず小さな約束をする。
 それは『次は〇〇をしてみましょう』という機能訓練要素の高い約束の場合もあるし、『では、次は〇曜日にまたお部屋に伺いますね』というただ『また会いましょう』という趣旨の約束もある。
 しかし、それはお互いにとって大なり小なり『目標』だ。

 過去に私自身が死にたいと薬を机に盛った時に『翌朝に電話する』という友人との小さな約束が今の命に繋がっているように、私は患者さんと小さな約束をして繋いでいる。
 死を目の前にした患者さんに対する答えを出すことができない中で、私ができる精一杯のことだ。
 
 身体的苦痛・精神的苦痛・社会的苦痛・霊的(スピリチュアル)苦痛。どれもが個々に存在はしないと思う。全て繋がっている。
 そして誰かの死がもたらす糸も、家族・友人・仕事関係者など全てに繋がっている。

 理想論かも知れないが、その糸を誰かがどこかで繋いでいけるような社会、その糸がピンと張った時、誰かがどこかで気付けるような社会になって欲しい。

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