スカラベニンゲン
最近自分の頭で考え、自分の言葉で語る事がめっきり減ってしまった。
誰かさんと誰かさんとを継ぎ接ぎして自分のレプリカを作り、それに言葉を吐かせている感覚が私を支配してきた。
エンターテイメント性に欠けるのだ。
オリジナリティやこだわりの無い言語化や
人となりが滲み出るような文を書けない事にもどかしさを感じるわけだ。
ただ、私の語彙力なんてものはたかが知れている。
高校生以来言葉の選択肢が増えていない。
うんことか孔子とか、インド人とかしか思い浮かばない。
これはゆゆしき事態である。
世界一賢い皆さんならば、新セデス錠とか確定拠出年金制度とかそういう言葉が出てくる方がカッコいいという事は分かってくれるだろう。
数学用語は多少覚えたけれど、ピアス穴開けることを「種数増やす」なんて言うのは自分がインド人だと自己紹介しているようなものだ。インド人が服を着て歩いているようなものだ。
そう思った私は、触れただけで全身に発疹が走り咳くしゃみが止まらなくなり臓物ぶちまけて水虫になる、「本」という物体に手をつけ始めた。
「本」というのは結構良いものだな、
と思い、今では読んだら水虫になる程度まで
アレルギーが軽減されたところまでは良かった。
いや文が、言葉がかっこ悪いわよ私っ!
と二丁目のオカマになってしまった。
敢えてアホっぽい事を言おうとする分には問題ないのだ。
でも一生懸命雀の涙ほどの脳味噌が遠心分離されてバターになってしまうくらいフル回転させてるのに「うんこ」はさもしすぎないか?
私の先祖はスカラベなのか?神聖なる黒光りゴリラカナブンなのか?
物を書く人の言葉を我がものとするには、自分で使い慣れなければならない。と思い至った。
文を書く機会をどうにかして増やしたいと思ったのだ。
モテのヤングにゲキハヤリのナウいアプリ、
noteを使って私は人並みの文を書けるようになりたい。言葉を紡ぐ事ができるようになりたい。明日の研修はおサボタージュしたい。
最近読んだ本とか、作った料理とか、考えた事とかを書いていけたら良いなと思う。
もし今後私が更新しているのを見たら、「このスカラベニンゲン」なんて思わずに読んでほしい。
あと、人のことをスカラベニンゲンなんて言う奴は、この世界にはスケベニンゲンって場所がある事を思い出してほしい。