記憶日記2 またも幼稚園
友達の粘土にへらをぶっ刺した話を前回したが、幼稚園時代私は結構パワフルだったようで、友達からあの頃のもとくん(昔の友人はもとくんと呼ぶ人がちらほらいる たぶんもとに関わるなにかが私にあるのだろう)がよくいた飛行機の遊具の特等席がうらやましかったけど、譲ってと言えなかったと大人になって言われたことがある。
大げさに言えばイモータンジョーがいるようなところに、どいてくれと言えなかったということだ。イモータンジョーだったら言えるわけがない。
正直そんな記憶は全然ないのだけど。
それが正しければ人生でパワフルだった時代はそこしかないような気がする。
少量の燃料しかなかったのだろうか。小学生の途中くらいから、なんとなくだらーっと過ごしてきた。だらだらするなとよく言われた気もする。
別にわざとだらだらしているわけではないのだらから、そんなこと言うなよと思う。ちなみに数でいったらシャキシャキしている奴の方が少ないだろうから、シャキシャキしている奴にシャキシャキするなと言った方がよほどいい。
そんなわけでわりと活発に幼稚園時代を過ごした私は、卒園の時のことを結構覚えている。
きっと活発だったから思い出がたくさんあったのだろう。
卒業の歌で有名な、「おもいでのアルバム」の歌詞にとても胸を打たれた。
いつのことだか思い出してごらん。
あんなことこんなことあったでしょう。
それを聞いてふと思い至ったのだ。
「え?終わっちゃうの?」
と。
いろんなことがあったけど、それってもう戻ってこないの?と。
何かが始まるということは終わりがくるということなのだと、子ども心に強烈に予感したような気がした。「切ない」という感情をはじめて抱いたような気がする。
その後卒園の出し物で、母と二人羽織でショートケーキを食べた。
この時もふと思い至った。
「ちょっと待って、え?このゲーム面白すぎない?」と。
あまりに理不尽でいてエンタメ性に優れていて、さらに美味しい。
こんな娯楽があったのかと、心を射抜かれた。
にもかかわらず、私はその日以来、二人羽織をしていない。
あんなに面白かったと思ったのに、それから40年一度も二人羽織をやっていないのだ。
すごくない?
人生ってすごい。
思い通りに進まない。これぞ人生だという気がする。
しかしおじいさんになってからまた二人羽織をやるかもしれない。そういう施設でありそうではある。
食べるものはショートケーキでお願いしたい。
その時はきっと母を思い出すだろう。
記憶日記。
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