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ASKAな朝日記(2025年1月12日)
三連休の中日、家族で夕飯をカラオケで食べるという、たいしたことはないのに、わりと「遊んでいるぞ!」という気概を感じる娯楽を決行。
家族でいくと基本子どもたちメインの歌を歌うことになるのだが、ちょっとぐらい子どもらが全く聞いたこともない歌を歌ってもいいだろうと、最近ふと聞いていたASKAの「はじまりはいつも雨」を熱唱してみた。
渾身のASKA。
体が一定のリズムで揺れる。
頭の中のASKAはいつだって一定のリズムで揺れている。
だからASKAを歌うと誰だって、揺れる。はず。
ASKA揺れ。
アースクエイクの語源とみている。
しかしいい曲だ。きっと子どもたちも、よくわからないがいい曲だと思っているに違いない。と、ふと子どもたちを確認してみると、
マジで誰も聞いていない。
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聞いていないどころか、見てもいない。
「いない」と思われているくらい無だった。
繰り出したASKAがホログラムのように彼女らを通り抜ける。
行き場のないASKAが部屋を漂う。
世界の均衡が崩れてしまう。
誰の関心も集めない虚無のASKAを生んでしまったのだ。
誰も関心を集めないなんていうことは、ASKAという存在感からすると、それはもう矛盾だ。理から外れる。
とんでもないことをしてしまった。
ほどなくして曲は終わる。
部屋に残るは根無しASKA。こんなASKAはCHAGEも知らないはずだ。
そうだ。
CHAGEを歌おう。
そうしてCHAGE and ASKAにすればよいのだ。
きっとまた誰も聞かないが、虚無のASKAだけがいるより、
虚無のCHAGE and ASKAがいるほうが、いくらか面白い。
私の頭の中でだけの勝手な話だが。
そうだ。
そうしよう。
そう思ったのだが、
私は、
不甲斐ない私めは、
CHAGEのソロ曲を知らない。