【復職への道⑦】1回目の休職要因を振り返る①
私は人生で2回休職した。
もう1年以上も休んでいるのに、
まだ復職できていない。
復職の勇気がでない
長く休んだので身体の調子は良い。
生活も安定している。
復職したい気持ちもある。
だが、あと一歩がでない。
苦しい。
ここまで順調に調子を上げてきたが、
ここにきて長く停滞している。
その原因は、
過去の休職要因について、
しっかりと分析できていないのではないか。
自分では振り返ったことにしているが、
蓋をしている部分も多い。
すべてを洗い出してみないと、
この停滞状態から抜け出せないと思った。
これから数日かけて、
しっかりと振り返ってみようと思う。
先ずは、1回目の休職について。
まずは最初の休職を振り返る。
当時のメモから起こす
当時、休職経緯についてまとめていた。
なぜなら、転職活動で必ず聞かれるからだ。
そのメモをベースに振り返ろうと思う。
休職した一番の要因は、ある上司との関係悪化。
この事実は誰にも言ってない。
「酷いプロジェクトだった。
続けていたら頭がおかしくなる。
その前に辞めてやった」
周りにはこのように話した。
それは、私が見栄を気にする人間で、
プライドが高く、格好つけたかったから。
「必死にしがみついていたが、
ある上司に怒鳴られ、業務遂行に絶望し、
適応障害になって会社を辞めた」
これが事実だ。
事実を胸に隠した。
こんなことは恥ずかしくて言えない。
適応障害になった要因をしっかりと分析せず、
事実を胸に隠し、前へ進もうと決めた。
「今回はたまたま運が悪かっただけだ。
この先の人生で、あんな上司と関わることは無い」
そう決めつけて、
転職して再スタートを切った。
でも、また休職してしまった。
要因を探さないとダメだ
この2回の休職から要因を探し、
ケアすることを考えないと、
ほぼ間違いなく、3回目の休職がくる。
洗い出すには、
自分の心情をすべて出さないと見えてこない。
現実世界ではうまく出せないが、
noteであればできる。
とにかく正直に洗い出してみる
長くなると思うので、
数回に分けて書いていきます。
※登場人物名は偽名です。
プロジェクト参加前の私の状態
私はSEとして、
あるプロジェクトに参加し、
途中で適応障害を発症して休職した。
参加前の自分の状態だが、
「いつも通りだったか?」といえば少し違う。
不慣れな出来事が色々と重なった時期だ。
半年前に10年一緒に働いた先輩が亡くなり、
頼りにしてた別の先輩も退職し、
同僚との仲違いも起きた時期だった。
そして、人生初の部署異動&転勤を経験し、
新たな人間関係を構築している最中でもあり、
ストレスをたくさん抱えていた時期だ。
そんなモヤモヤは仕事で吹き飛ばそう。
自分を焚きつけるように、
退職した先輩に「新しい仕事頑張る!」と、
決意表明メールを送り、自分を奮い立たせた。
プロジェクト開始
異動先の課長と、隣の課の課長に呼ばれた。
・異動先の課長(=私の上長):白木さん
・隣の課の課長:車谷さん
この2人が一緒にプロジェクトをやっていて、
そこに参画して欲しいという話だった。
そこでは自社製品を開発していて、
次期バージョンを開発する。
そのプロジェクトに参加することになった。
ちなみに、
プロジェクトには格付けランクがある。
規模や費用、社会影響等から決定されるのだが、
このプロジェクトは最上位クラス、
所謂、社長プロジェクトだった。
社長プロジェクト
私には経験が無かったが、噂は聞いている。
関わる人員が多く、役員クラスも口出ししてくる。
品質管理基準も一番厳しく、とにかく大変だ・・と。
その一方、メリットもあるそうだ。
社長プロジェクトを経験することで、
幹部たちと面識が出来る。
今後の出世にも影響してくるそうだ。
私はこの時、主任だった。
30代後半でもあり、
このプロジェクトを経験したら、
課長の椅子が見えてくるのかな。
なんとなくそう思っていた。
白木さん(上長、PL)
白木さんは私の上長になる人だ。
私より年齢が少し上で、少しお腹がでていた。
第一印象は「人の良さそうな人」だった。
このプロジェクトのリーダーである。
車谷さん(隣の課の課長)
そして、隣の課の課長「車谷さん」。
この人が、私が休職した1番の要因だ。
私と年齢は同じくらいで、背が高い人だった。
自社製品について広い知識を持ち、
次期バージョンの仕様決定権はこの人が握る。
第一印象は「にこやかな人」だったが、
なんともいえない違和感を感じた。
そう覚えている。
最初の出会いはそれぐらいだ。
その場での会話も悪い印象ではなかった。
私のミッション
自社製品は大きく3機能に分かれる。
2つの機能は自社開発しているが、
残りの1機能は外注先に委託している。
今回も外注するが、今回で最後にしたい。
(次回からは自社で3機能を開発したい)
だから、
「外注先に行って、
今回の開発を一緒にやって学んでこい。
次回から自分でやれるように巻き取ってこい。」と。
やっと話が見えてきた。
どうやら、私は外注先に行き、
初見のシステムを外注先の人たちと一緒に開発しつつ、
開発環境や開発手法、ノウハウなどを学び、
すべてを持って帰らなければいけない。
人員は私一人だそうだ。
なんだこの無茶振りは。
※ちなみに、今回、外注すると聞いたが、
全行程を外注するわけでは無かった。
設計、開発、単体テストまでらしい。
以降の結合テスト、システムテストは
自分でやらないといけない。
いよいよ外注先へ行く
毎日、気が重かった。
言われるがままに飛ばされるのだが、
未知な部分が多過ぎて、不安しかなかった。
部署が変わると、
こんなにも無茶振りがあるのかと思った。
とはいえ、異動してきたここは花形部署でもあった。
私もそこで生き残れるように頑張ろう。
漠然とそう思ってた。
その日がきた。
外注先に行くと、すでに私の席が用意されていた。
これから3ヶ月間、私は外注先へ出社する。
先方の体制は、
管理者、主担当、協力会社の3人体制だった。
体制が薄いようにも感じたが、
今回はバージョンアップなので、
この体制で十分だそうだ。
主担当:新浦くん
主担当は新浦くん。
私の相手をしてくれる人だ。
30歳ぐらいの若手だが、
この製品の初期開発から参加していて、
製品知識は十分らしい。
車谷さんは不満
ただ、車谷さんは、
主担当=新浦くんに不満だった。
初期開発の頃は、
外注先ももっと人数をかけ、
エース級の人たちが対応していたそうだ。
今回もそういった人が、
担当してくれることに期待していた。
管理者の人
この管理者の人は潔かった。
「私は日程しかみないので、
システムについては新浦くんに聞いてね」
システムのこと聞くなとスパッと切った。
気持ちいいくらいだった。
協力会社の人
外注先が雇っている若いエンジニアだった。
<1ヶ月目(残業:40時間)>
プロジェクトはすでにキックオフしていた。
自社に戻り、進捗定例会などに参加すると、
段々と景色がみえてきた。
プロジェクト参加人数は15人ぐらい。
自社の開発者だけでこの人数だ。
早速、遅延がでていたが、
笑顔ありで、まだ全然余裕だった。
私は自社の主要メンバーたちに挨拶し、
これからお世話になりますといった話をした。
先ほど、大きく3機能あると書いたが、
他の2機能のリーダーと会えた。
機能①リーダー:本郷さん
私と同年代で、眼鏡をかけ、賢そうな人だ。
物静かで人が良さそうだが、
とにかく忙しそうだ。
機能②リーダー:朝日くん
若手だが、特殊な開発ができる稀有な存在。
コミュニケーション能力も高い。
そして、機能③のリーダーが私だ。
一人だけど。
この2人とならうまくやれそうだ。
ほっとした。
不安要素の山
外注先に戻る。
私にはこの製品の知識は無く、
開発言語も経験が無いものだった。
不安要素が多い。
この不安要素を無くしていくには、
開発できる見通しをたてないと苦しい。
まずは環境を整え、製品に手を入れ、
コンパイルして動かせるぐらいまでは、
早々に見通しをたてたいと思った。
新浦くんに教えを請う。
開発方式や環境などを教えてもらった。
私が担当する改修機能分についても、
「どう設計したらいい?」
「流用できる機能ある?」
そんな相談にもしっかり付き合ってくれた。
ただ、私の焦りもあり、
結構しつこく質問してしまった。
質問は休憩時間にも及び、
「勘弁してください」(苦笑い)
「知りませんよ」(苦笑い)
ぐらいまでいってしまった。
新浦くんは車谷さんが苦手
車谷さんから何か依頼がくると、
新浦くんは落ち着かなくなる。
2人は初期開発から面識があり、
新浦くんは車谷さんを苦手としていた。
1ヶ月目の総括
<勤怠>
プロジェクト参加したばかりだが、
早く適応できるよう、自ら時間外も積極活用。
(主にプログラムソースやドキュメントを読む)
・平均:09:00〜19:00ぐらい
・残業:40h
・休出:0
・自宅からのリモート作業:0
・通勤時間:自社、外注先ともに片道1時間半
・心情:早くプロジェクトに適応して成果を出すため、最初から稼働高めに動いてしまった(求められてはいない。自分判断で実施)。日程に余裕も無く、早くやれる見通しをたてて安心したかった。
<ストレス状況> 60%
(1)慣れないことばかりで連日緊張感あり。家で思い出すこともあるが、まだ気を紛らわして収束する程度。
(2)慣れない環境や思い通りにいかないストレスあり。心から相談できる人もいないが、まだそこまではいってない。
(3)ミッション達成できるかの不安が強い。未知のものが多く、とにかくやれる目処を早急にたてたかった。新浦くんの理解・協力もあり、少しずつ進展。
<対人間関係>(0=険悪、100=良好)
・白木さん:50(普通)
プロジェクト管理で多忙のため、目立った絡み無し。
・車谷さん:75(良好)
定期的に状況報告し、改修機能の相談等で頻繁に連絡をとる。私の状況が厳しいことは伝え、理解は貰えている。会えば挨拶し世間話もする。業務上のやりとりも問題無し。
・新浦くん:40(普通)
私は敵として警戒されている。ミッション遂行には新浦くんの協力が欠かせないので、より円滑に進めるためにもっと仲良くなる必要あり。
<2ヶ月目(残業:50時間)>
早くも不穏な空気がでてくる。
仕様変更、仕様追加が湧く
プロジェクトが進むにつれ、
仕様変更や仕様追加が湧き上がる。
自社で外注先を呼び、打合せが頻発。
私も同席するが、立ち位置が難しい。
外注先側のメンバーとして座り、
自社からの「できるかできないか」に対し、
自社の人間だが、できない理由を述べたりした。
車谷さんは口が達者
口喧嘩したくないタイプである。
表情や言葉遣いも強めであり、
「言い方悪いけど〜」
と話だすのが口癖だった。
メールも強めの表現が多く、
本人曰く「誤解されやすい」と言うが、
受けた相手が困惑するのは明白だった。
パワーバランス
「車谷さん VS 新浦くん」という構図。
新浦くんも応戦するが分が悪い。
結果として、要求はほぼ通されてしまう。
【私の失敗】余計なことをしてしまう
そんな車谷さんだが、
私にとっては自社の人間(=味方)なので、
私に害は無く、「新浦くんも大変だな」
ぐらいにしか思ってなかった。
車谷さんが強めに発言し、
新浦くんが答えに困っていた時。
何度もこういうシーンをみてきたので、
つい大人風を吹かせて、
新浦くんをフォローするような発言をした。
「でも、それって***でしょ。
そこまで考えて設計はしてないよね」
これは、車谷さんに対して、
「だから責めても仕方ないですよ」
と伝えてあげたつもりだった。
車谷さんからは、
「でも、おすしさん。そんなわけないでしょう」
ぐらいのやりとりで、その場は終わったが、
車谷さんが不満顔だったのは覚えている。
新浦くんに対しては、
仲良くなるために、
少し手を打ったぐらいの感覚だった。
「私は車谷さんと同じ会社だから、
困ったら間に入ってあげるから」
それぐらいの感覚での発言だった。
車谷さんに対しては、
私は外注先に潜入しているので、
色々と事情を理解している。
システム開発経験も長い。
そんな観点で助言しているつもりだった。
外注先で私外しが始まる
外注先では仕様変更、追加により遅れが発生。
社内が騒がしくなっていました。
怒りの矛先が私に向いているのを感じます。
実は「私の面倒をみるのにかかる費用」、
外注先はこれを貰えていませんでした。
どういう話で決着したのか知りませんが、
「自分たちの作業を私に手伝わせれば、
工数が浮くでしょう?」
そんな理屈で押し切られていたと思います。
その反発が私に来ました。
私の面倒をみている暇はもう無いので、
私の担当分に関与しないと宣言されました。
外注先の進捗管理表から、
私の項目すべてが外されました。
一気にアウェー感が強くなった
外注先での居心地良くするために努力した。
積極的に挨拶をし、笑顔を振りまいた。
席が近い人とは談笑できるレベルだった。
良い関係を構築できていたはずだった。
「あの人いつまでいるの」
「あの人にやらせればいいのに」
「なんであの人ができないの」
そんな声も聞こえるようになり、
一気に肩身の狭い思いになってしまった。
遂に、新浦くんへの質問も制限されるようになった。
他の打合せにも同席してください
この業務を巻き取って帰るなら、
新浦くんや協力会社の子が担当している項目も、
すべて把握して持ち帰って貰わないと困る。
だから、今後、すべての打合せにも同席ください。
外注先からそう依頼されてしまった。
これがインパクト大だった
日中ほとんどの時間を打合せに取られ、
自分の開発業務は定時後からの着手となる。
結果、私の担当分の開発進捗も、
かなり遅れが目立つようになった。
このままだと任務遂行できない
私のミッション達成のキーマンは新浦くんだ。
新浦くんの協力無くして達成は不可能である。
幸いなことに、事態は少し好転した。
連日、夜遅くまで2人で残っているため、
自然と話す内容も仕事外のものが増えた。
帰りに一緒にラーメン食べて帰るようになった。
白木さんに報告
白木さんに時間をつくってもらい、
関係者数人で打合せをした。
(車谷さんはいなかった)
白木さんとしっかり会話したのは、
この時が初めてだった。
現状について話した。
外注先から見放されていて、
このままの状況が続くと、
早めに自社に戻るかもしれないと。
白木さんは笑ってくれた。
この時まで、
私は白木さんの事はわからなかったが、
笑ってくれたことで、
物事を捉える感覚は同じなんだと安心した。
現状を理解してくれて、
早めの撤収もやむなしと理解を示してくれた。
<勤怠>
日中、打合せに時間をとられることが増え、残業増加。
少しずつ自宅での作業も初める。
(会社で追いきれなかった内容のおさらい等)
・平均:09:00〜20:00ぐらい
・残業:50h
・休出:0
・自宅からのリモート作業:2~3h(確認程度)
・通勤時間:自社、外注先ともに片道1時間半
・心情:勤怠に関しては覚悟を決めるしかなかった。この先の工程、楽になる要素は無く、間違い無く残業は増える。プロジェクト終了まで突っ走るしかない。覚悟を決めた。
<ストレス状況> 65%
(1)自分が担当する開発項目の進捗が悪い。遅れているので時間をとってやりたいが、連日打合せが夕方まであり、思うように時間を割けず進まないストレスが強い。
(2)外注先の居心地が悪くなり苦しい。だが、外注先に通う予定はあと1ヶ月なのでなんとか我慢できそうだ。自社の上司とは疎遠のため、心から相談できない。ここまで車谷さんと結構コミュニケーションをとってきたが、どうにも会話の相性が悪いのか、心からの相談はできない。ただ、新浦くんとは結構話せるようになったのが救い。
(3)連日の打合せの居心地が悪い。険悪な雰囲気のものが多く、自分が関係無い打合せでも嫌な気持ちになってしまう。
<対人間関係>(0=険悪、100=良好)
・白木さん:55(普通)
外注先での状況悪化について相談し、理解得られた。
プロジェクトは順調では無いため、上層部からの指摘が厳しい。白木さんはプロジェクトリーダーとして一手に対応している。過酷そうだ。
・車谷さん:70(良好)
改修機能の仕様相談にかなりの時間対応してもらう。遅延等による日程配慮もしてもらえたり協力的である。業務上のやりとりも問題無し。
・新浦くん:55(普通)
学生時代の話をしてくれたり、だいぶ心を開いてくれた。仲良くなることで仕事の話も聞きやすくなり、関係良好だ。
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