2023/4/8

おととい、久しぶりに、結構好きな男の人と寝ました。付き合ってはいません。ベッドのなかで、彼女がいることを知ってしまいました。悪いことでしょうか?きっと悪い。その彼女が知ってしまえば、彼女は傷つくだろうと予想できる。それは彼女にとって、必要な傷になるのか不要な傷になるのか、彼女にしか分からない。そして、わたしにも彼にも、彼女を傷つける権利など当然ない。
ふたりとも酒を飲んでいた。彼は何を考えただろう?わたしは、シラフのことを考えた。シラフ。
人を傷つけるということは重いが、しかし傷つけてしまう日があるのだとすると、わたしも死ぬまで傷つき続けよう。そう思った。しかも、それは物語などにはならない。ただの傷の記録である。最悪、だれかを殺してしまい、そして自分も殺される可能性がある。そんなものは見ないふりできるけれど、みんな分かっている。傷に殺されるかもしれない、憎しみに殺されるかもしれない、怠惰に殺されるかもしれない、不勉強に殺されるかもしれない、偶然に殺されるかもしれない、遺伝子に殺されるかもしれない。そのへんに、「最後は諦めなさい」と言わんばかりに死はわれわれを待ち構えていた。大阪に住んでいたとき、毎朝地下鉄で通勤していたわたしは、南海トラフ地震が起これば地下鉄はあっというまに沈むという噂を聞いた。たまたま読んだ本のなかで、原子力で飛行機を飛ばそうと思えば、通常の燃料の数百分の一くらい(何千分の一だっけ?)で済む、原子力とはそういうものだ。みたいなことが書かれていた。

セックスをすれば、ふたりは愛し合ったのだということに、なるわけあるまい。それでも、文脈を共有することない者同士が突然交わる、それは死が暗黙の了解で想定されているとき、どうしてみんな無視できてしまうのだろう?自分勝手で、詰められればわたしが負ける論だとしても、ただわたしには分からなかったのだ。この世界で勝つ必要など無いのだと、知っていたいのだし。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?