つらい時はこもればいい。【ダンゴムシからの学び】
ちょっとした路地の、少しじめっとした場所。
無機質に置いてある、大人の手ぐらいの石をよけると、そこにいる。
その名も「ダンゴムシ」。正式名称はオカダンゴムシで、私たちの生活圏内に根付いている、身近な虫だ。
足は8対、触覚2本。まあまあ早くて、つつくと丸くなる。その風貌や特徴は、気持ち悪いとか、可愛いとか、賛否両論だ(※自分調べ)。
私は、このダンゴムシに因縁がある。
そう、あれは5月のよく晴れた日のことだった。
息子が親離れした日
空一面が青々としていた、5月の晴れた日のこと。
幼稚園の先生から「息子くん、ダンゴムシを20分もじっと見ていたよ。集中力あるね」と声をかけられた。
ダンゴムシって、あの足がいっぱい生えた硬そうな虫のこと?え、なんであんな虫を20分も見ていたの?
混乱しながらも、先生に「そうですか」と答える。そんな私をよそに、汗だくになった息子が、水筒のお茶を一気飲みしている。
ここは、親子で通える山奥の幼稚園。
教室を隔てる壁がなく、開放的なこの場所には自由があふれている。
午前は個別活動、午後は学年や全体でお絵描きやダンスなどをするのだが、参加するかどうかは各々で判断しても構わない。だから、登園してから帰るまで、一日中虫捕りをしたり、砂遊びをしたり、走り回ったりしている子も珍しくない。どこで何をして過ごすかは自分で決められて、没頭できる。心の赴くままに時間を堪能する自由が、ここにはあるのだ。
初めて見学に来た日、「あ、ここしかない」と思って入園を決めた。息子が小学校に上がるまでの3年間、ここで一緒に過ごせたら最高だとさえ思っていた。
それにもかかわらず、私は入園早々焦っていた。
親子で過ごせる場所なのに、息子が私を置いてどこかに行ってしまったからだ。安全上、子どもが一人で行動しないように、幼稚園の先生が付き添ってくれている。親が来るのは強制ではないので、子どもだけで遊ぶ光景も珍しくない。
けれども、私は息子を探していた。子どもを産んでから「お母さん」でしかなかった自分にとって、息子がいない状況が不安だったのだ。
ダンゴムシを恨み、ダンゴムシに学ぶ
いつも私の後ろに隠れていた息子が、親元を離れて、幼稚園の先生とダンゴムシを観察しに行く。走り去っていく後ろ姿が、眩しくて、寂しくて、怖い。
「ああ、なぜあなたはダンゴムシに出会ってしまったの…」。
そんなことを言うのは、もう野暮だ。
ダンゴムシが入った虫カゴを嬉々として見ている息子は、すでに自分の世界を広げ始めている。ここで、息子の興味をへし折る真似は、やっちゃいけない。
帰宅してからも、ダンゴムシをちょんちょんしては、丸くなる姿を観察する息子。
ちょんちょん、クルっ。ちょんちょん、クルっ。
「丸いね」「コロコロしてる」「かわいいね」なんて言うものだから、感心する。
息子の小さな掌で、何度も丸くなるダンゴムシ。その様子を楽しむわが子を見て、「ああ、もう私の子育ては終わったのかな」なんて、飛躍した考えが思い浮かぶ。
それから1年ほど経った頃、息子とともに幼稚園に通うのを辞めた。
もともと慣れたら子どもだけ登園するのが通例だったし、一緒に登園しても、息子は虫や虫仲間とばかり遊んで、親の存在を必要としていなかったからだ。
「ここには息子が安心してのびのび過ごせる環境がある」
そう言えば聞こえはいいけど、内心は通わなくていい状況にほっとしていた。授乳中の娘をおんぶして汗をかきながら登園するのも、虫が苦手なのに山奥に行く生活にも、ほとほと疲れていたのだ。
3年間一緒に通うつもりが、当初の予定より早くリタイアを迎えた私だが、息子と離れたことで、自分を少しだけ俯瞰して見ることができた。
初めての子育てで、肩肘を張りすぎていたこと。
子どものために、自分を後回しにしていたこと。
自己犠牲ばかりの日々にうんざりしていて、本当は私も、自分の好きなことに没頭したかったこと。
子育てをしている方ならきっと共感してくれる気持ちばかりだろう。
でも、当時の私は「子育てがつらい」とか「しんどい」とかを人には見せてはいけない気がしていた。言ってしまったら、ドロドロした感情に飲み込まれそうな気がして、言えなかった。
息子がくれた空白の時間に、人に相談したり、散歩したり、昼寝してみたりして、ちょっとずつ、ちょっとずつ膿を出して。
結局、全部出し切るまでに2年もかかってしまった。
息子の親離れがきっかけで、身を守るように引きこもった日々を思い返すと、まるでダンゴムシだったように思う。
息子を虫好きの世界に誘ったアイツは、私に「つらくなったらこもってもいい」と教えてくれたのだろうか。そんなことある訳ないのはわかっている。わかっているけれど、私は人間なので、何事にも意味がある気がして、都合よく解釈させていただいたわけなのです。
人間は複雑に考える生き物。
もっとシンプルでいい。もっと楽でいい。
そう教えてくれるのは、いつも人間以外の生き物な気がする。