21年間勤めた病院を退職し、看護師の働き方改革を目指す|ポケットナース創業者・中嶋美世子さん
21年間勤めた病院を退職し、2024年に地域密着型看護ケアサービス『ポケットナース』を創業した中嶋美世子さん。看護主任として活躍していた彼女がなぜ、起業を決断したのか?友人である筆者が聞いた。
看護師免許をシュレッダーにかけようか、悩んだ過去
「仕事を辞めたい」。
そう考えながら働く看護師は79.2%に上る。※1
白衣を身にまとい、笑顔で患者さんと接する姿の裏側で、長時間労働、サービス残業、ハラスメントなどの問題に直面している人は少なくないそうだ。
愛知県内で看護師として働いていた中嶋美世子さんも、その一人だった。
彼女が勤めていた職場は「救急車を断らない病院」として知られている、県内有数の総合病院だ。病気も容体もさまざまな患者さんが何人も運ばれてくる現場で、彼女は患者対応や医師の診療サポートをこなす日々を送っていた。
看護主任に就任してからは、現場の人員調整や業務采配、後輩育成にも尽力した。
しかし、クレーム対応に追われ、組織の方針に従わなくてはならない状況に、やりきれない気持ちが高まっていった。
朝早くから出勤し、21時の消灯時間が過ぎても帰れない。現場で終わらない書類は自宅に持ち帰って終わらせる。そんな毎日が、彼女を消耗させた。
「もともと人手不足なのに、コロナが流行し始めて、現場は混乱を極めました。主人には、私が過労で死んだら病院を訴えてねと、伝えていましたね」。
ギリギリの状態で働き続けた結果、心身に不調をきたし、退職を決断した。新卒から21年間、看護主任としては11年間勤めた場所だったが、仕方なかったという。
病院を辞めてからは、1日20時間以上眠る日もあった。いま振り返ると「廃人のようだった」と話す。
「私、もともと料理が好きで。おかずをたくさん食卓に並べて、家族に食べてもらうのが楽しみだったんです。でも、退職してからはキッチンに立つことすらままならなくて。できることができなくなる現実を目の当たりにして、看護師免許をシュレッダーにかけようかと思ったんですよね。もう戻らなくてもいいや、と思って」。
そんな中嶋さんが、再び看護師として働くことになるとは。彼女自身も想像していなかっただろう 。
声だけでできる看護を知り、看護師の新たな可能性に気付く
退職後、自宅に1日中こもる生活が続いた。体力も気力も尽きていたはずだが、心のどこかに「これでいいのかな」 と思う気持ちがあったという。
「私、小学3年生の時に古い町営住宅に住んでいて。友達に『美世子のうち、オンボロだね』と言われたことがあるんです。それが悔しくて、負けるもんかと思って生きてきたんですよね。だから県内でも大きな病院に就職して、管理職にもなれたのに、ここで終わりなのかなって。私にできることって本当にもうないのかな、と思っていたんです」。
消化しきれない思いをどうにかしたくて、布団の中で求人を検索し始めた。
「看護師ではない道も選べましたが、これまでのキャリアや、これからの生活を考えると迷っちゃって。そんな時、資格を活かしながら在宅で働ける仕事を見つけて、挑戦してみようかなと思ったんです」。
中嶋さんの目に留まった求人は、自宅往診・オンライン診療を提供する医療系ベンチャー企業の仕事だった。体調不良で動けない人や、子連れで受診が難しい人、コロナによる外出制限で自宅待機中の人に医師が診察を行い、薬の処方や医療処置を提供するサービスである。
往診翌日の健康観察を行う部署に配属された中嶋さんは、患者さんの病状を電話で確認するよう指示された。貸与されたパソコンを使用し、インターネット回線を利用して通話するため、ネット環境さえあれば自宅で働ける。
しかし、看護師は患者さんの話を聞くだけでなく、五感を使って異常の有無を発見するスキルが必要とされる仕事だ。それゆえ、最初は「電話だけで十分に健康観察ができるのだろうか」と戸惑った。
「電話だけだと、異変を見逃さないか心配だったんです。でも、話を聞きながら、咳の回数や呼吸の仕方などで客観的に病状を把握できると知って。それに『今朝のお熱は何度でしたか』『昨日と比べて息苦しさはどうですか』と聞くうちに、患者さんの声色が和らいでいく感覚があって。電話を切る前に、『看護師さんありがとう』と言われた時は、本当に嬉しくて。自宅にいながらでも、患者さんの役に立てるんだなぁと思いましたね。看護師の新たな働き方を知って、可能性を感じました」。
看護師のキャリアモデルといえば、医療機関や介護施設に就職し、管理職へと昇進していくコースが一般的だ。つまり、退職は、従来のキャリアモデルから外れることを意味する。労働環境や人間関係が原因で退職する人のなかには、キャリアが閉ざされた感覚に陥り、看護師とは別の道を選ぶ人もいるそうだ。
しかし、在宅ワークを経験したことで、中嶋さんは「働き方を変えてもいいと思えれば、看護師を辞める人が減らせるのでは」と考えるようになった。既存モデルに頼らない働き方があることを伝えたいという思いは次第に膨らみ、看護師兼起業家への舵を切ることとなる。
理想論だと言われても挑戦を続ける理由
在宅ワークを続けながら、起業に向けて具体的な準備を始めた。 看護師が自分らしく働ける社会を実現するために、経営を学び、地域の医療機関や介護施設の関係者を訪ね歩いた。
そして、2024年1月に『ポケットナース』を創業。
現在は、働き方に悩む看護師の相談に乗り、希望の働き方が叶うクリニックや介護施設を紹介するサービスを提供している。幅広い働き方を提案するために、転職支援サービスを展開している企業と協働し、転職支援も行うそうだ。
「看護師さんは献身的な対応が求められるので、どうしても自分を犠牲にした働き方が当たり前になっちゃうんですよね。周りから言われなくても、自分で自分を律する人も多いし、その気持ちは私もわかります。でも、それだけじゃいけないんですよ。看護師がつらそうにしていたら、患者さんも微妙じゃないですか。お世話を受ける人も、お世話をする人も笑顔になれる。そんな社会が実現できたら、幸せだと思うんですよね」。
そんなの理想論じゃないかと揶揄されたり、難しいんじゃないかと諭されたりしたこともある。しかし、それが挑戦を止める理由にはならなかったそうだ。
「いま日本では、超高齢化社会が問題視されていますよね。日本人の5人に1人が75歳以上になる2025年問題が、すぐそこまで迫っている。私が住んでいる地域も高齢化が進んでいて、こどもの頃にお世話になった人たちが年齢を重ねていく姿を間近で見ていると、誰かが動かなくちゃいけないと思うんですよ。成功するかどうかは、やり続けないとわからないので。私一人で頑張るんじゃなく、たくさんの人と協力しながら、進んでいきたいですね」。
【参考】
※1:日本医労連 :「看護師の入退職」に関する実態調査