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戦記物ガール エモいだけじゃいられない

子どもの頃に好きだったことを唾を飛ばしてしゃべってます。
なんのはなしかご興味あればお進みください。
どうでもよければ途中まででも。
(約2800字)



戦記物ガール誕生


最初は「ちはや城のたたかい」「牛若丸とべんけい」だった。

小学2年生の冬に子ども向けの古典作品にハマった。
牛若丸聞いたことある!から平家物語につながり平家ヘーケ平家!
学校の図書室に忍びこみ、本棚を隅から隅まで見てまわり、平家物語と牛若丸の本が5〜6冊あるのがわかり毎日勝手に持ち出しては読んでいた。

何がそんなに面白かったんだろう。
鹿ヶ谷の陰謀に始まり白拍子の話とか「ヘーケにあらずんば」とか。清盛病死の前後から源平合戦が本格化。当たり前だけどどの本も同じ流れだ。

清盛が病気になった頃、夜中に不穏な大音量の笑い声が聞こえたという怪奇シーンには毎回ゾクゾクした。キタキタ転落の予兆!

誰か主人公がいるわけではない。印象的なシーンが多いが数ページ、数行で死んでいく者たちも多い。登場人物がやたら多い群像劇とも言える。

父に図書館に連れて行ってもらい、子ども向けの他の古典作品にも触れた。

「義経記(ぎけいき)」、平家物語につながる「保元平治の乱」、「ちはや城」が出てくる「太平記」、戦国時代にも手を伸ばした。自分で言うのもおこがましいが小さな歴女というか戦記物ガールの出来上がり。
当時、富山市内(富山県)に住んでいて、図書館が城址公園内にあり、本丸はもうないが、お城が実在したという歴史を肌で感じたことも大きかったと思う。


平家推しソロ活動


学校の友だちとは『キャンディキャンディ』や『なかよし』の話題で盛り上がっていたが(昭和です)、内心一人で平家をたぎらせていた。

「お友だち給食」で5年生の教室に行った時は、後ろの壁の横に長ーい歴史年表にときめき、姉の地図帳を持ち出しては三点マークの名勝地にワクワクした。一ノ谷、屋島、壇之浦。住んでた県には倶利伽羅峠もあった。(どれひとつ今でも行ったことがないが)

3年生の時に高熱を出して一人で寝込んでいたときは(母はパートで不在)、夢の中で何度も「源氏が来たっ!」と声がしてそのたびブルブルッと震えていた(高熱で)。もうビョーキです。いやほんとに病気だった。
義経の活躍に胸躍らせていたけれど、平家側視点でも読んでたんだろうか。


へー友を発見


大人になって、昔から家にあった「ある本」を読んだところ、意外なところにへー友(平家物語ファン・今考えた造語)がいたことを知った。

その本とは『ノンちゃん 雲に乗る』(石井桃子著)

奥付けを見ると初版1967年、この本は1975年19刷。
昔はハードカバーの本といえばこのようなケースがついていた

作者は『くまのプーさん』の翻訳者としても知られる石井桃子さん。
日本の児童文学の第一人者だった方です。

舞台は昭和の初め、ノンちゃんという女の子が雲の上でおじいさんと出会うちょっと不思議なお話。
ノンちゃんには兄がいるのだが、このお兄ちゃんがなかなかのわんぱくもので、体が大きくで目がぎょろっとして幼稚園の学芸会で弁慶を演じるほどだった。

で、弁慶の兄ちゃんが好きなのが那須与一(なすのよいち)なのだ。

にいちゃんは那須ノ与一が、すきですきでしかたがありません。平家でさえも、ふなばたをたたいて感心しなければならなかったというのことが、にいちゃんには、泣きたいほどうれしいのです。

『ノンちゃん雲に乗る』

ここを読むと私は女御姿?の女性たちが「ふなばたをたたいて」やんややんやしてるイメージが浮かぶ。(念のため言うと平家側は瀬戸内海を船で逃げ回ってる)

敵であろうと優れた者を称賛するフェアネスに兄ちゃんは心打たれたのだろう。そしてこの場のヒーロー・那須与一に胸アツいとエモシなのだ。
兄ちゃんが那須与一ごっこをしている描写もたまらない。

にいちゃんは、(中略)弓に矢をつがえて、キリリとふりしぼる(ふりをする)や、「なむはちまんだいぼさァつ!」とどなって、「よっぴいてひょうとはなつ」(ふりをする)のです。

『ノンちゃん雲に乗る』 太字はおすぬ

こうやって遊ぶ子、今いないよなあ。
「よっぴいてひょうとはなつ」私も無駄に言ってみたい。
いまの子たちが「全集中!」とか「カメハメ波!」って言うのに似てるのかもしれない。


語り継がれる物語


さて、大人になった私は「平家物語」に二つのことを思う。

一つは『ノンちゃん』のように昭和の初め頃は平家物語の名シーンを子どもでも知ってることへの驚き。(以下知らんけどで書いてます)
平家物語が後世まで伝わったのは「耳なし芳一」の琵琶法師が語り継いだことが大きかったのでは。アニメ『犬王』のように能楽で題材になったり、江戸期以降も格好のエンタメコンテンツだったと思われる。
物語のパッケージ化の歴史という点で興味深くないですか?
きっと研究者が大勢いるだろうけど、これほど長く愛されてきたのは「滅びゆくものへの共感」が人々の琴線に触れたからではないだろうか。


もう一つは、ここまで平家一族を追い詰める必要があったのかという素人考え。
源平合戦をたどると、以仁王(もちひとおう)の挙兵(源平合戦スタート)が1180年。色々あって1182年2月清盛死亡、1184年2月一ノ谷、1185年2月屋島、同年3月壇之浦。こんな短期間にいろんな戦いと源平双方の役者が入り乱れる。

不遇な存在をひいきしたくなる判官贔屓(はんがんorほうがんびいき)は義経が元になっているが、大人になると物語後半の平家さんたちがどんどん不憫になってくる
都落ちして船で逃げ回るのは大変なストレスだったろう。お風呂やうんちはどうしてたの?揺れてる船にずっといたらそりゃ精神不安定になりますわ。

源氏の再興や時代の巡り合わせの不運があるとしても、この「一族いじめ」のような仕打ちがどこまで妥当だったのだろう。人々の根底にある罪悪感(鎮魂の思い)も物語の成立に関与してるに違いない。


知盛推しだった!


平家びいきついでにもう一点。

大河ドラマ・タッキー義経の壇之浦が忘れられないのです。
金粉まきちらして八艘飛びする義経と、それを見上げる阿部寛の平知盛。
知盛は(物語では)船の碇(いかり)を巻きつけて海に沈んだとされ「碇知盛」と呼ばれる。頼りにならない総大将の兄貴のケツをたたき、一族の精神的支柱でもあったようで、阿部寛さんがものすごく適役だった。

また、木下順二氏の『子午線の祀り(しごせんのまつり)』は平知盛を主人公にした物語(脚本)で、これも大人になってから読んだのだが、ザ・武将イメージの知盛に繊細で人間的なイメージが加わった。

「ノンちゃん」の兄ちゃんが那須与一推しだとすれば、私は知盛推しかもしれない。
エモいのその先。
阿部知盛(←あえて書いてる)を思いながら、非常事態に大人として生きなきゃいけないシビアさを考えてみる。(災害時を想定すると他人事じゃない)


変な方向に着地してしまった。
書く部のお題

本好きになったきっかけ、あなたの始まりの一冊

で、書いてみました。

画像は YuYu 様にお借りしました。

それではこれにて!


#書く部のお題で書いてみた
#なんのはなしですか
#どうでもいいか


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おすぬさん
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