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【タモリスト文学大賞・小説部門応募】禁欲のアプレミディ

 月曜の朝。
 夫を送り出すと、女は脱衣所の棚に隠していた紫色の上下の下着をそっと取り出した。手洗いしてハンガーにかけ、室内のカーテンレールに吊るす。
 以前ベランダに干していたら中年女たちの噂になった。やれアバズレだ、やれ近頃の若い娘は、と。それ以来、女は自分の下着は室内に干すことにしている。

 ここは郊外に続々と建てられている大型団地の一室。女は実家の援助で最先端の洗濯機や掃除機、冷蔵庫、そして銀行勤めの夫を手に入れた。結婚して1年半、子どもはいない。
 夫とは見合いの席で出会い、女が一目惚れした。メガネの奥の体温を感じさせないような冷たい瞳にゾクゾクした。
 結婚当初は数度あった夜の行為は、夫の帰りが遅くなるにつれ今では全くなくなった。つやっぽい下着の力を借りても夫は興味を示さない。
 仕事場に別の女でもいるのだろうか。不安が頭をもたげるが、生来楽天家の女は、次なるうえは流行りのフラフープで悩殺を試みようとしていた。


🛟

 昼食を済ませ、女は押し入れから大きな赤いプラスチックの輪っかを取り出す。テレビで見た映像を思い出し、見よう見まねで腰を振る。何度やっても腰のあたりで数度回転してはボロンと落ちてしまう。
 フラフープ教室ってないものかしら。それか教本とか。電話帳で探すか町の本屋に行ってみようかしらと女が考えていたとき。

 ピンポーン

 チャイムが鳴った。

 「はい」
 ドアを開けチェーン越しに訪問者を見る。

 「〇〇ガスのほうから来ました」

 四十前後だろうか。頭を七三に撫で付けワイシャツの上に工務店のような青いジャンバーを羽織った男が立っている。

 「こちらの団地、台所に湯沸かし器ありますでしょ。その点検で参りました」

 「どうぞ」
 女は男を招き入れる。先週は保険屋と牛乳屋の勧誘があった。昼間の専業主婦も存外忙しい。

 団地のダイニングキッチンはベランダに面していた。
 「いやぁ、いい眺めですね」
 男は窓の外を眺めながら、カーテンレールの洗濯物に目を走らせた。
 女は内心焦った。しかも今日履いてるスカートは膝上ミニだ。

 男は湯沸かし器のボタンを押し、カチッボワッと点火させたり、温度のつまみを回して湯温の変化を確認していた。

 「問題なさそうですねぇ」

 男は顔を上げて女に告げる。女はまじまじと男の顔を見た。やや細い目と、何より前歯の細い黒い隙間に惹きつけられる。

 「あ、ええ。ご苦労様」

 「では今度は二週間後、風呂場のガス点検に伺いやすね」

 訪問者は帰るそぶりを見せたが、カーペットに転がっているフラフープに目をとめた。

 「お、フラフープですか。奥さん、おやりになるんですか」

 「え、ええ。ダイエットにいいって聞きましてね。でも意外と難しいんですの」

 女は男の前でフラフープを回してみせた。一、二度回転してすぐに床に落ちる。

 「私の友人がフラフープの名人でしてね、習ったことあるんですよ。ちょっといいですか」

 男は女からフラフープを受けとる。
 「行きますよ、ほら」

 男はくねくね独特な動きをしながら、優に二十回はフラフープを回してみせた。七三に撫で付けた髪はびくともしない。

 「コツがあるんですよ、奥さん」

 男はフラフープを止め、両手に持った状態で、腰を前後に振り出した。

 「まずは止めたままで、腰を前に、後ろに、をやってみてください。ゆっくりでいいですから」

 今度は女がフラフープを両手に構えて腰の後ろに当て、言われたように前に、後ろに、腰と尻を突き出した。
 腰のところのフラフープに男が手を添える。

 「いや、尻はいいんです。尻は動かさない」
 男の手がそのまま下がり尻に移動する。女は思考が止まりかけた。

 「へそを前後に出すつもりで」
 「え?こ、こう?」
 懸命に尻を飛び出さないよう女は腰を前後させる。男の手は尻に吸い付くようにジリジリ下がってくる。

 「そう、そんな感じです。じゃ、回してみましょう」

 男の手が尻を離れた。
 「え、あ」
 女は動揺したが、それを見せまいと息を整え、ぐるんと勢いつけてフラフープを回転させた。
 「あ!はぁ!い、いいわね!回ってる!」
 男の視線がミニスカートの裾にちらちら向かう。

 「奥さん、知ってますか?古代エジプトの時代から、ブドウのツルで編んだ輪っかがあったそうですよ。回したり転がしたり遊具にされてた一方で、こうやって腰で回して男女の求愛にも使われてたらしいです」

 女は、男の前歯の隙間の暗い異空間に吸い込まれそうな気分になった。

 「では私はこれで」
 男の声で女はハッと我に返る。

 「ご、ご苦労様」

 男が帰ってから、女はフラフープの鍛錬に励んだ。
 男は二週間後にまた来ると言っている。


🛟

 その夜、遅くに帰ってきた夫はいつにも増して不機嫌だった。

 「今日誰か来たのか?」

 「え?ええ、ガス屋さんがガスの点検に」

 夫はしばし沈黙してから口を開いた。

 「ここだけの話だが、うちの支店が詐欺被害にあってるかもしれない。しばらく家に誰もあげるな。いいな」

 メガネの奥の、何もかも見透かすような冷ややかな瞳が女を捕える。
 女が期待するにはそれで十分だった。たとえ空振りになろうとも、それでいい。今日は何色のスキャンティーにしよう。少し上達したフラフープは見てくれるだろうか。


 二週間後、三週間後、一ヶ月後。
 待てど暮らせどガス点検の男が来ることはなかった。(2190字)




山根あきらさんのこちらの企画に参加します。
面白い企画をありがとうございます!


【あとがき】

こちらのショートショートは1970年代あたりをイメージしてます。湯沸かし器(給湯器)やフラフープの時代設定はかなり大雑把(いい加減)です。古代エジプトの男女の求愛云々は創作です(実際にあったかもしれないけど)。

主人公の女はちょっとお転婆な箱入り娘。ガス点検の怪しい男がタモリさんです
タモリさんがフラフープの名人かどうかはわかりませんが得意そうじゃないですか?欲求不満をこじらせてる若奥さんとタモリさんのちょいエロ空気感を作り出せていたら嬉しいです。

さて。タモリさんがテレビでブレイクした頃私は小学生でしたが、ちょっと変わった芸達者な人というだけでなく、なんとも言えない色気を醸し出してるってことで奥様方をざわつかせていた記憶があります。

タモリさんはなぜかNHKに気に入られて、タモリさん主演の『詐欺師』というドラマがNHKのドラマ枠で放送されていました。
大谷直子さん演じる地味で冴えない銀行員が、タモリさん扮する会社社長(本当は詐欺師)にたらし込まれて横領事件を起こすというもの。
タモリさんが悪い男の色気を出してたんですよー。
昔のラブホテルの丸いベッドも出てきた笑

当時はよくわからなかったんですが、タモリさんには母性本能をくすぐるような色気がありますよね。生い立ちや目の怪我のこと、モットーにしてることなどを読むと、孤高であろうとする強さと弱さみたいなものを勝手に想像してしまいます。あの前歯の隙間でさえ愛おしくなれば、あなたもタモリストですね。


サムネ画像は はるよ様 にお借りしました。
※以前お借りした方の絵が消えてしまったので差し替えました。可愛くてミニスカートでフラフープが似合いそう♡という勝手なイメージです。


それではまた!


#タモリスト文学大賞
#小説部門
#タモリ
#フラフープ


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おすぬさん
お気持ちだけで結構です。ありがとうございます。