日記#232【恥ずかしい】
私は自分から自分の話をあまりしない。それは、人に自慢に思われたらいやだ、とか偉そうとか思われたくないと思い言っていないものだと思う。だが、本当にそれだけだろうか。私は私の事を知られるのが恥ずかしい事だと思ってるのかもしれない。
この前友人に、「お前は、テストで100点を目指すんじゃなくて合格すれば何点でもいいと思ってる感じがあるよな」と言われた。もちろん私の持論として、テスト以外でも合格点を取れればよくて、より高い点数を目指す意味はないと思いながら生きてきたため、この推論はあっている。だが、これを言われた時私は、私の事を理解してくれてるうれしさよりも、見透かされた恥ずかしさの方が勝ってしまった。
普通の人はオチのないエピソードトークをされた時、それに関連するような何でもないエピソードトークを持ってくるものだと、最近学んだ。私としては、人の話を拡大解釈をして、ジョークを飛ばし、オチを無理矢理つけて話を終わらす。こっちの方が良いと思う人もいると思うが、これでは私の情報は何も発信していない。もう仲が良い場合はいいが、3回目ぐらいの人は、向こうから話しかけようとしてもらっても、私はたくさんの情報を持っているので、容易に話しかけることができるが、向こうの情報は少ないため声がかけにくいだろう。
そしてたまに複数人でいると、話をしてくれた人から盛り上がりそうなジョークを思いついて、もう頭の中で会話は5ラリーぐらい進んでおり、相手の喋り終わり待ちの時、もう一人が新しいエピソードトークを始めたとき、すごくもやもやしてしまう。一般人の会話はこれが基本であり、私が異端であるのにもかかわらず、もやもやしてしまう。
私が小さい頃の小さい界隈では、自慢話は良くなく、異性と話をするのは恥ずかしく、聞き上手が良いとされていたが、皆はいつからこれは小さい界隈のみでいつ大人界隈に成長したのだと、感じてしまう。異性の友情はあり得ないと思ってる層が逆転しているのは、いつなんだよと、私の中の世間の人が思っているであろう尺度と実際の尺度が変わり始めているのを感じ、私の心の成長が遅れている気がしてしまう。
そのため私は学校表面上、新しい尺度に合わせて生きている。私としては常に背伸びしている気分だ。だが、背伸びしているのは私だけではないのかもしれない。皆が背伸びせず伸びたと思っていたが、皆も背伸びしており、私を見て背伸びしてる人もいるかもしれない。だが、背伸びをやめると背伸びをしてるやつから、背伸びした方が良いと、わかっていることを言われるのが、私としては嫌なのだろう。これからもきっと背伸びをして生きていくと思うが、いつか背伸びしなくてもその高さに伸びれるように日々生きていきたい。