大切なものとかミニマルとか

懐かシリーズ23

工業革命で大量生産、大量消費が可能になり消費社会となった今、物を持つことが幸せになれると感覚的に思ってしまう。

物を持つためには金が必要で、金があれば貧困で苦しむこともないし、買える欲しいものは手に入る。

しかし、ある研究では年収1000万を越したあたりからそれ以上金を稼いでも幸福度は対して上がらなくなるという結果もでている。

私が最近、というか今考えていることは、何が大切か分からなくなってきているので答えを見つけたいということだ。

金と幸福は直結していない。

幸福とか豊かとはどのような状態か感覚的にはわかるけど言語化できていない。

ある日、ミニマリストについて取り上げている映画を見た。

小さい家で暮らし、服はお気に入りの数着枚しか持たない。

そこで感じたのは、人は物を持つことで安心したり、幸福を得ようとしていることだ。

物を買うことが悪いというわけではなく、広告などで買わなければならないという強制的な感覚に支配されて物を買うことが危険だなと思っている。



最近感じるのは、人は常にみんな寂しいのではないかと思っている。

本能的かもしれないが、そう思う。

その寂しさを埋めるために物を買ったり、タバコを吸ったりお酒を飲んだりするのかもしれない。

一番欲しいものを手にいれるために、そのほかを諦めるという戦法はプロおごさんもやっていたが、ミニマリストもそれに似ていると感じる。

自分は一番何に価値を感じるのかを見極めて、他を手放す。

そうすれば一番欲しいものは手に入れることができる。

SNSなどを見るといかに他人が完璧で理想的な世界にいるのか思い知らされる。

東京とかに住んでると尚更そうだ。

世界はそれが水準だと思い、その世界で生活するのはとても息苦しい。

ミニマリストはすごい先進的だと思う。

物を捨てろといいたいのではなく、いかに自分が本当に必要な物を見極めて、幸福度を最大化するかが大切だ。

それが消費社会に浸っている私からすると難しいのだけれど。

世界にはミニマリストやそういった幸福とは的な考えを追求するような人たちがいると思う。哲学とか心理学とか。

そういうものを私は学んでいきたい。



日本はとても素晴らしいサービスを誇る国だ。

しかし、それは日本が物凄いストレス社会であることを指している。

実家にいると、寝る場所もご飯も無料である。

生きるということは達成されている。

SNSもあまり触らなくなり、外見にも気を使わなくなる。

それは本来望んでいたはずのものなのに、何故こんなにも虚無感があるのだろうか。

多分、人は誰かと繋がりを感じないと豊かに離れないのではないだろうか。

仕事も何をするかではなく、誰とどんな風に関わるかで豊かさが決まってくるのかもしれない。










最後まで読んでいただきありがとうございました!



おすぎ

公開パネルを開く

いいなと思ったら応援しよう!