親の成長
休日は忙しい。
予定を入れず、どこへ出かけなくとも、子どもたちが家にいるだけで忙しい。
特別世話をしてあげるような年齢でもなくなり、ある程度のことは自分でできるまでにい成長したものの、「お母さん、どうしたらいい」と聞かれるのが常だ。
1年くらい前の私なら、2択にして選ばせていた。
2年くらい前の私なら、私が決めてしまっていた。
今咄嗟に出てくる言葉は、「自分で決めていいよ」だ。
自分で考えて、自分で決めて、自分で行動できる大人になってほしくて、どう言葉掛けしたらいいか悩み学ぶ日々だが、これだという言葉にはまだ出会えていない。
もしかしたら言葉など不要なのかもしれないのだが、まだそこの域までは到達できていない。
一度だけ、「どうしたらいいと思う?」と考えることを促す言葉掛けができたことがある。
あのとき、子どもは自分の考えを述べ、だからこうした方がいいと思う、と答えを導き出すことができた。
自分で決めるように伝えたときの少し困ったよう表情ではなく、どこか自信があるような顔が印象的だった。
そこまでわかっているのに条件反射的に「自分で決めていいよ」と言ってしまう。
言われた側は突き放されたと、受け取っているかもしれないし、あの表情をまた引き出したいのに私の成長がまだ追いつけいない。
子どもに掛ける言葉に変化が出ているのだから、私も成長できているはずだ。
でももう一段階。あと少し上に行きたい。
子どもの成長スピードは格段に速く、私がそれに追いつけていないのが悔しい。
この人には何を聞いても無駄だと見切られないように、あと少し努力が必要なようだ。
子どもを育てるって本当に責任が重いなと感じる。
私の言葉一つで悪い方向に人生変わってしまう可能性だってあるのだから、やはり慎重にならざるを得ない。
子どもをよく見て、上手に距離を保ちつつ手も口も出しすぎない。
理想は掲げられるが、現実は難しい。
難しいけど理想は必要で、そこに向かって足掻くしかない。
大変だけど、子ども自身の成長だけでなく、私も成長できるきっかけが与えてもらえることがありがたい。
子育てというにはもう大きくなりすぎてしまったけど、今は人間育ての時期に入ったんだろう。
後になって振り返ったときに、不器用ながらも懸命に向き合ってよかったと思えるようでありたい。
こんなだから、子どもたちがいる休日はとても疲れる。