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意地悪されて傷つくということ

ふとした時
頭に思い浮かんでくる相手が幾人かいる。
ふとした時というのは
具体的に言うと脳が暇になった時だ。

忙しく仕事をしている時や
子どもの勉強を見ている時など
頭をフル回転させている時には出てきはしない。

ちょっと休憩している最中や
家事をやっている時、
歯磨きをしている時に
当たり前のようにひょっこりと顔を出してくる。
にやにやとした笑みを浮かべながら。

その相手というのは
出てくると非常に嫌なことを
好き勝手に言ってくる。
過去の出来事を掘り返したり、
自分の妄想であっても
声が仕草が言い方が
非常にリアルに話しかけてくる。

近頃あまりにひどいため
この人たちは
一体なんなんだろうと
考えてみた。

当然ながら好きな相手ではない。
不思議なことに嫌いというわけでもない。
——嫌だという気持ちはあるが
——嫌悪までは行きついていない
共通項はなにかと探してみたら
思い当たるのは
『私に意地悪をした人』だった。

例えば好きな人、
最たるものは恋愛対象だと思うが、
こうした相手のことを想うときには
仕事も手に付かない状況に至ると思う。
つまり脳の稼働状況は関係なくて
常にその人を想ってしまうのだ。
——甘酸っぱい

では嫌いな人、
嫌いな人は自分の中で論外なため
考えるに値しない存在だ。
その場限りに考えてしまうことはある。
それはイライラさせられてしまった時なんかに
好きな人と同じように
仕事も手に付かぬほど感情的になるが、
しかし日頃から私の脳内を侵してくることはない。

意地悪をする人、
言い換えると自分に悪意を抱いている人は
まるで自分の心を侵食してくるかのようだ。
心が傷つくというのはこういうことをいうのだろう。
じくじくと傷口が疼くから
ふとした時に痛みを思い出してしまっているようだ。

楽しそうに悪意で心をえぐり
傷跡をつけていく。
そういったことを息をするかの如く
たやすくこなしてみせる輩がいて、
自分がその標的になってしまった時
悲しかな私は瞬時に気づくことができない。

わかりやすい悪意であれば
さすがに気づくし、
それがきっかけに
「嫌い」になることができる。
実際、ストレートにそして派手に
私へ悪意をぶつけてくる人がいるのだが、
上等と言わんばかりに私も応戦して
結果「嫌い」になっただけで
同じように日常の中で思い出すことは皆無だ。

しかし巧みにそっとつけられた傷は気づきにくい。
違和感を感じてから
じっくりと自分の気持ちと向き合って
自分が嫌だった、傷ついていたと
理解する必要がある。
そうしたレベル感の意地悪をする人が
私の場合、顔を出してきているようだ。

なんと面倒な人たちだろう。
そして腹が立つことに
相手はなんとも思っていないし
私のことなど気にもしていないのであろう。
本当に無駄な時間とエネルギーだ。
どうせならロマンチックな相手を想って
過ごしたいものである。

この世の全ての人を
好きになりましょうなどとは
私は思わない。
嫌いな人がいるのも当たり前のことだと思う。
ただ悪意を向けるのは違っていると思う。
どうかその暇な感情を別のことに
遣ってはもらえないだろうか。

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