便利に家事をする
我が家で買って正解だった家電No. 1は、乾燥機付きのドラム式洗濯機だ。
干す、取り込むの手間と時間がなくなり、3時間もあれば洗濯物が乾いて仕上がる。
天候や時間帯を気にせずにいつでも洗濯できることは、家族が多く、そしてまだまだ汚れ物も多い我が家には非常に便利な存在だ。
次に素晴らしいと感じている家電は、ホットクック。
材料を切って入れて、調味料も入れて、スイッチを押せば、自動で調理をしてくれる優れもの。
例えば夫婦で料理をするとか、子どもに炒め物を手伝ってもらうとか、そうした他人の手が増えることと、自動で調理してくれることとの違いが買う前はよくわかっていなかった。
実際使ってみてわかったことは、放っておけること、他のことを気にせずできることが挙げられる。
他人と料理をすると、どんな感じか、火の通り具合はどうか、変なことやらかしていないか、都度気にする必要がある。
ホットクックはそうしたやり取りがなく、また蓋がしまっているから吹きこぼれる心配もない。
完全放置ができるため全く気遣いがいらないところがとてもいい。
この1、2年の間に、我が家の数々の家電が順番に寿命を迎え、買い替えを余儀なくされている。
15年くらい使った電子レンジ。
13年くらい使った冷蔵庫。
10年くらい使った食洗機。
空気清浄機も炊飯器も壊れた。
次は12年使っているエアコンが来るはずだと戦々恐々としている。
10年も時が経てば技術は格段に進歩し、より少ないエネルギーで動く。エコだ。
洗い上がった食器の輝きに手が震え、レンジの強力さ、炊き上がったお米のおいしさに頬が緩む。
お金は消えていく一方だが、便利さと快適さを手に入れて、豊かな生活が遅れていることに日々感謝だ。
これだけ便利なものに囲まれて生活していると、当然人間の技術は衰えていく。
生まれた時から洗濯機はあったから、洗濯気無しでは生活できない。
お鍋でご飯は炊けるし、ホットクックなしでも料理はできるから食うには困らない。
食器は手洗いしてもいいけど、食洗機の方が仕上がりがきれいだし節水になる。
いい面も、悪い、とまではいかずとも、これで本当にいいのかなと思う面もある。
私の子どもが成長して大人になり、自分で全てをやるようになった頃、ホットクックなんてあって当たり前の世の中かもしれない。
男女関係なく料理はできるべしと思ってはいるものの、世界が変わり、そうした道具があればなんとかなるのなら、無理して覚える必要はないのかもしれない。
しかしここで頭の中に、妄想が次々とリアルに浮かんでくる。
——女のくせに料理もできないのか
——楽することばかり考えるな
こんな否定する声が聞こえてくるのだ。
そして私は心の中で反論する。
否定されるのは家事、つまり女の仕事だと言われてきたものだけだと。
男がする仕事は便利なものを取り入れているじゃないか。
メールなんて使って楽をせず、飛脚を使うか狼煙でも上げていろ。
車も電車も飛行機も使わず走れ。
PC使わず、算盤と帳簿とボールペンで十分だと。
経済の発展、業務の効率化、云々言われたとしたら、生活の向上がなにが悪いと私は激しく反論する。
改めて伝えておくが、これは誰に言われたわけでも、ネット上で意見を見かけたわけでもない。
私が勝手にまだ見ぬ相手と戦っている妄想だ。
おそらく私の中で、男はいいけど女はだめという古い男尊女卑の考えが、潜在意識として根強く残っていて、いや、完全に刷り込まれていて、理想と潜在意識との間で戦っているのだろう。
こんなところにもジェンダーフリーの波が垣間見える。
はっと気付けばそんな妄想すること自体古いんだと思える世の中であってほしい。
変化のスピードは驚くほど早い。
私は必死で食らい付いていくから、後ろを向かずにどうか先へ先へと進んでほしい。