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変化する街、時が止まる場所

予定と予定の間が2時間強ほど空いてしまい、しかも目的地も徒歩圏内とほど近く、一度家に帰るのも面倒で時間を適当につぶすことにした。
あまり行くことのないチェーンのカフェに入り、分厚いホットケーキでも食べてしまおうかと企んでいたのだが、店の目の前で尻込みしてしまい、しれっとした顔で素通りしてしまう。
ひとりでそうした愉しみを味わえるほど、ひとり遊びを極められていない。

目的地は真っ直ぐ行けば歩いて20分かからない程度の距離だ。
この辺りは10年以上前に3年半くらした地域で、とても馴染み深い。
時間があるのだから、散策しながら向かうことにした。
いいお店があれば、そこで昼食をとれば時間もちょうどよくなるはずだ。

始めはよかった。
なんとなくこっち、確かこっちと、感覚で進んでいく。
しかし駅の近くは変化が大きくて、馴染みの店は多くが変わり、家も新しく建っていたりと、面影を感じることはできなかった。
そうこうしている間にすっかり迷子になり、裏道を堪能するはずが、結局大通りへ出て歩くことになった。

大通り沿いも新しい店が建ち並び、しかしこの10年ですっかり街に馴染んでしまっているため、自分だけが異質であることは間違い。
変わってしまった店舗は、変わったということはわかっても、前がなんだったかは思い出すことができない。
ではそれだけの思い入れだったのかと、自分の薄情さに後ろめたさを感じなくもないが、街の変化とはそういうものと割り切っている自分もいる。

結局大きく回り道をして、倍以上の時間をかけて目的地へと着く。
しかしテイクアウトの店はちらほら見かけるのだが、カフェ、レストラン系の店がなく、お昼を食いっぱぐれてしまった。
また、次の予定までまだ1時間半以上も時間が残っている。
回り道などせず、さっさと別の街へ移動して、食事を済ませた方が利口だったかもしれない。
仕方なく私は隣町へと移動すべく、また歩くことにした。

歩いて20分。
さっきと併せて約50分私は歩き続けた。
ようやくたどり着いた馴染みのカフェでサンドイッチとラテを頼み、一気に腹を満たす。
歩いたことで、たらふく食べることへの罪悪感はない。
足がじんじんする。
スニーカーならまだしも、ヒールのある靴で長時間あるくものではない。
疲れた足を休めながら、スマホでネットを見つつコーヒーをすする。
それから少しメモをとり、隣のおじさんが保険関連の営業の勉強を必死でやっているのを右半身で感じるなど、店の雰囲気を味わう。

再度目的地へ戻る手段は、電車、タクシー、徒歩の3択。
タクシーは使う気分ではなく、電車は駅までの距離を入れると、歩いても乗っても大し変わらない。
それならばと、私は歩くことを選んだ。

腹が満たされさっきよりは元気ではあるが、足の疲労は全くとれていない。
それでもさっききた道を戻り、歩みを進めていれば、逆方向からなら私のよく知っている辺りを通りながら向かうことができることに気がつく。
そうすれば以前暮らしたマンション近くを通ることもできる。
私は軽く方向転換し、裏道を進めば、長く急な坂道に当たった。
これを上が暮らしたご近所だ。
最短ルートを目の前にして、一瞬迷いが生じるが、一気に上った。
途中自転車で下ってくるお巡りさんとすれ違い、下り、電動アシスト付き姿のお巡りさんに嫉妬し、バカボンに出てくる体を張ったお巡りさんを思い出す。
どうでもいいことなのだけど。

馴染みのある街というもが時間とともに変化していって、離れていった自分が「変わってしまった」と淋しく思うのは、自分勝手に思う。
時代と世の流れに沿って変化していく様を、見守り、身を以て体感できるのは、そこに暮らしたり、身近に関係している人たちの特権だ。
それでもやっぱり淋しさを感じて、自分が置いてかれたような気持ちになって、身勝手全開でずっと歩いてきたのだが、以前暮らしたマンションに着いたとき、時間が止まった。

住宅街のさらに裏手にあるその古いマンションは、何一つ変わったろころはなかった。
手前の家の軒先に生えるビワの木でさえ、枝の角度すら変わっていないように見える。
マンションの外壁は相変わらず小汚なくて、元はピンクだったのかもしれないが、当時から変色したままの茶色も、柵も、木も、変わりがない。
マンション前に停められている車が変わり、管理会社が変わって看板が取り付けられていたが、変化という変化はその程度だった。

そのまま目的地へと進むのだが、通り過ぎる家々に全く変化がないことに驚く。
きっと暮らしている人も変わりないのだろう。
小さな子がいたなという家には、ジュニアサイズの自転車が複数台並んでいた様子から、成長と家族が増えたことがうかがえる。
変わったのはせいぜいペンキを塗り替えた程度で、10年以上ではなく、ほんの1年ほどしか経っていないと言っても納得してしまうほどだった。

不思議な街に迷い込んだ気分だった。
あの一角だけ時間が止まり、足を踏み入れた私は、目が、足が、記憶がここを知っていると言っていた。
そしてそこここに小さかった子どもの姿が脳裏に浮かんでくる。
いつも散歩した道、人生初の雪の日に雪など目もくれず、自転車のペダルに興味をもった場所、するすると記憶がよみがえってくる。
必ず触りたがった自動販売機、歩く練習をした裏の小さな公園、小さな体でしゃがみ込んでなにかを観察する姿も、幼い声も聞こえてくる。細い道を歩く風景は全く変化がなく、ただ私を懐かしい気持ちにしてくれた。

思い出っていうのは、懐かしむためにある。
懐かしんで、今に戻ってきたときに、大切にしようと思えるために。
あのころはよかった、では決してないのが思い出だと思う(そうでないのは未練)。
行ってよかった。たくさん歩いてよかった。
たくさんの思い出が詰まっているこの街は、私を元気にしてくれる。

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大須絵里子
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