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外の世界

学校行事が延期されたり
中止になったりという状況が
相変わらず続いている。

子を持つ親としては
感染が気になるため
そうしたお知らせを受け取った際には
まず安堵する。


昨日子から伝えられたのは
近々予定されていた
美術鑑賞教室が中止になったそうだ。
正式な連絡は書面で改めてくるとは思うが
その一報は子の口からだった。

いつもと同じくほっと胸を撫で下ろす自分は
中止は当然と思っているのかわかる。

しかし芸術に触れる機会が減るのは
この子の感性が育つ機会が
また一つ減ってしまった
ということでもあり、
その点については
本当にそれでいいのかと葛藤もある。

まあでも
コロナが落ち着いたら
私が連れていけばいいか

気楽にそう考えたのだが、
すぐにあることに気がついた。

コロナが落ち着くのって
一体何年後なんだろう
その頃って子は成長してしまっていて
もう親と出かけたりなんか
しない年齢になっているんじゃないか

そう思ったら猛烈に寂しくなってしまった。

どれだけ懸命に子育てしても
どれだけ思いが強くとも、
子どもが大きな影響を受けるのは
外の世界からだと考えている。

親を尊敬するのではなく、
学校の先生や
親以外の大人を尊敬して
本人の人生を変えてしまうような
出会いが待っていれば
いいなとさえ思っている。

でもそこへ至るまでの道のりは
親が、なにより母である私がそばにいるはずで、
何を見て何に感動したのか
共有できる時間があるはずだった。

しかしそうした機会もコロナによって
激減してしまい、
これまでの巻き返しとばかりに
子が成長へのギアを入れた時
私は隣にいることはできなくて
ただ玄関で見送るだけの立場になるのだ。

そんな風に置いていかれるのだろうという
近い未来が見通せてしまって
私は寂しくなってしまった。


この1年と少しの間に
それまで「当たり前」とされてきた
経験が失われてしまったことは
非常に不幸なことだと思う。

しかしそれを言い訳にせず、
だからこそ自分だちの世代は
他の世代と違って
こんなところが優れているんだという
何かがあったらいいなと願っている。

例えば
世界レベルで変化していく世の中を体感したことか、
自分との向き合い方だとか、
学校と塾以外出かけない中で見つけた楽しみ方だとか、
IT化が進められる変化のど真ん中にいることだとか、
そうしたことを成長の糧としてほしい。

大人になったとき、
または大人になるまでの過程で
選択を迫られたときに、
子ども時代に感じたなにかが
手助けしてくれるといいなと思う。


子はさも残念そうに
中止を伝えてきたが、

大丈夫
今はこんな状況でも
未来は明るいから

だからいまは充電期間と思って
自分と向き合う方法を見つけようね。

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大須絵里子
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