そうではない可能性
久しぶりの雨だ。
人の多い週末に、人の数だけ傘が咲いている。
今日の朝日中高生新聞の一面には
同性婚について考えようという文字が書かれており、
非常にインパクトを感じた。
こうしたことをオープンに
触れる機会があるというのはいいことだと思う。
知らないこと、よくわからないことは私は怖くて、
知識のない事柄については警戒心が働く。
好奇心から知りたいと思ったことを
学ぶまでの余裕があればいいが、
そうではなく突然目の前に
立場や考え方や状況があまりに違う人が
自分はこうなんだ、と言ってきたら身構えてしまうだろう。
価値観や考え方が変わっていく過程で、
きちんとその流れに乗っていくことはとても大切だ。
同性婚という文字だけ切り取ると
少しそわそわしてしまう年代だが、
これからを生きる子どもたちにとっても
当たり前にあって触れていいことだと思っている。
そして私は、自分から新しい方へと寄っていく必要がある。
そんなことが午前中にあった後、
昼下がりにひとりカフェの窓際の席から人の流れを眺めていると
ふたりの女子高校生が目の前を通過していった。
ひとりの子が傘を差し、もうひとりの子が一緒に入っている。
自分の傘は差さずに腕に引っ掛けて、
傘を差す子の腕に自分の腕を絡めている。
仲よく一緒に歩いているだけの光景でしかないが、
新聞の見出しが頭によぎり、そうした可能性も含めて眺めてみた。
同じ制服、同じソックス、似通った背丈と体格。
髪型も後ろにひとつに結び、前髪は眉の上の長さだ。
歩幅は同じく、右左と足並みまで完全に揃っている。
シンクロして歩くふたりの仲のよさは
ガラスで隔てられていても感じられる。
至って普通の、どこにでもいる女の子たち。
心の中では互いをどう思っているかは見ることはできない。
友だちなのか、恋人なのか、以上だが未満なのか。
私にはわかるはずのない関係を
あれこれ考えるなど品のないことかもしれないが、
見ていて「普通」であり、仮に恋人同士というふたりであっても
ネガティブどころかなんの感情もわかない。
人間がふたり並んで歩いているだけの光景だ。
新聞の見出しを見ていなかったら、
「仲のいい女の子たち」でしかなかった。
見ていたから「そうではない可能性」を想像することができた。
この想像力が多様性の時代に生きていくためには必要だ。
見たことのないもの、触れたことのないもの、
この世には知らないことが多すぎる。
もっとずっと読んだり、経験を積むことで
可能性を想像し、他者をそのままに受け入れられるようになりたい。