サモエドが始まる前の話=その1
今日はツイッターでのアンケート通りサモエド結成前夜の話を書きます。
サモエドは大津真人・菊地亮介・小山貴史の3人ですが、
今回はギターボーカル担当の僕(大津)がサモエドを結成しようとするまでの話です。
というわけで、少し時間をさかのぼります。
1思春期のはじまり〜異常なドキドキ感
小学校高学年の時にサザンオールスターズの桑田さんが”涙のキッス”を北京からの中継で歌っているのを見て衝撃を受け、自分は音楽をやることになる!!と思いギターでコードを覚えようとしたのをいまでも覚えてます。
その当時、好きな音楽を聴くととにかく胸がドキドキして、初恋のような気持ちになったものでした。
その力が強すぎて、よく桑田さんの曲の中で”切ない”という言葉が出てくる時に音楽的に感動しすぎていたため、大学生になるまで
”切ない”=音楽的にドキドキして気持ち良くなること
と勘違いして記憶していました笑
さて、その後中学に入ってからは日本のロックを聴くようになり(もう解散していたBOOWYやその周辺)、そこからは御多聞に洩れず、とにかくヘビーでハードなものばかり求めてハロウィーンとかモトリー・クルーとかを聴くようになりました。
高3位になると、スウェードやスマッシングパンプキンズのようなオルタナティブやスカパンク・メロコアも聞くようになりましたが、何か物足りないような気持ちも抱えていました(最初ほどドキドキしなくなったかも..)。
2都会で大人の音楽に染まる
神戸の田舎から東京(といっても板橋区)に出てきた純朴な18歳の自分は、大学に入って音楽的には大きな波に飲まれました。
それはジャズ・ヒップホップ・R&B・ソウルの波でした。
ジャズ研に入って毎日ピアノを練習して、オーケストラ部の楽器庫で当時流行っていたR&B(ちょうど2000年頃はヒップホップとR&B、ジャズとR&Bが融合した音楽が盛り上がってました)の曲を歌う、という暮らしをしていました。とにかくリズムやグルーブが心地いい、声質が気持ちいいという音楽を毎日浴び続けて、それに憧れていました。
なにせ自分が今まで聴いていたロックとかよりとにかく上手い、上手いし洗練されてるし心地よい。聴いてると音に包まれるような心地よさがあって、それに1日中浸かる毎日でした。
3人間一日中音楽をやるとどうなるか
しばらくしてジャズ的なアドリブが弾けるようになった頃、クラブでピアノを弾く仕事に誘われます。
その仕事場は10年近く続くんですが、25歳になった頃、大学院を辞めていよいよピアノのみで生きていくことに決めました。
この数年間は週に6日、昼前に起きて練習し続けて、夜にはピアノの演奏と弾き語りをする毎日で、そんな繰り返しをしてると、上達もするけど色々悩んだり行き詰まったりしてきます。
そんなある日、大学時代から追い求め続けていた”何となくカッコいい”ということにいきなり全くドキドキワクワクしなくなります。あれ?!これって大事なことやっけ?となりました。
自分が中学生くらいの時にドキドキワクワクしたり感動した音楽って、こういう”雰囲気”とかノリの音楽じゃなかったよな...と。
4メロディ=ヒラメキ至上主義
それで自分を振り返ってやっぱ音楽はヒラメキが大事だ、メロディが大事!ということになり、かっこいい音楽ではなく”メロディが立ってる音楽”をひたすら掘り直す時期が続きました。
この時期には、洋楽だけでなく自分が子供の頃に聞いた邦楽も含めて泣ける曲・いい曲をかたっぱしから引っ張り出して総動員する日々でした。
ところがそんな名曲たちも毎日毎日演奏(弾き語り)してると3年くらいで感動しなく(!!)なります。
毎日だいたい30曲、それを年単位で演奏してると、感動する力さえ尽きてくるのか、音楽に絶望しかける自分がいました。
感動するからやってたはずの音楽から、感動しないのにやらないといけない音楽になる。一生これが続くとしたら、とんでもない絶望です。
5ロックンロールとは何か これで自由になったのだ
そのことが怖くなって仕方なかったある日の演奏前、忘れもしない新宿のタワーレコードで手に取ったアルバムを未だに忘れません。
そのアルバムを手に取った瞬間に、まだ音楽もよく聴いてないのに涙が出たのを今でも覚えてます。
それが”サンボマスターの僕と君の全てをロックンロールと呼べ” であり、
それともう一枚の
”サンボマスターは君に語りかける”でした。
その2枚のCDを再生した瞬間が、自分の絶望が希望に変わった瞬間だったわけです。
上手いことでもなく、洗練された音でもなく、感動的な曲でもなく、
心からの叫びと熱量、そしてそれをライブで聴く人と共有すること
それだけが答えだと感じた瞬間に、全ての悩みの答えが出ました。
それからは毎日毎日聴いてたわけですが、
今までの自分(2〜4時代)は、
感動するような曲をやらなくてはならない
上手くなくてはいけない
かっこよくなくてはならない
という呪縛に縛られていた。
なので何をやっても
自分より上手い、良い曲、かっこ良いもの
を見つけてしまい、苦しくて前に進むことができなかったのでした。
ところが、サンボとの邂逅以降の自分は、
何をやっても良い、
自分の思うようにやって良い、下手でも良い、
何なら下手な方がいい時さえある。
そして他人の下手なところも肯定できる
かっこ悪くても肯定できる
そんな風に考えることができるようになり、感覚自体がひっくり返ったのでした。
6じゃあどうやればいいんや?!!
確かに価値観は自由になった。
でも、それだけで簡単に熱量のある表現ができるわけじゃない。
しかも、中学高校以来ピアノばっかりでギターはほぼ弾けなくなっている..。
では一体そこからどうサモエドが始まるのか....。
続きは次の記事で!!
いやー、ちょっと長かったですね汗
↓そんなサモエドの音源の試聴はこちらから!