僕とLivetubeと天鳳と人生と 2

Music : Linus And Lucy

 2008年4月29日午前4時。僕はLivetubeに最初の配信を立てた。
 日時までわかるのは、今目の前にある外付けHDDに動画データが保存されているからだ。

画像1

 (初配信初配牌)

 2004~2007年頃、僕はふたばちゃんねるという画像掲示板をよく見ていた。ふたばちゃんねるは2001年2ch閉鎖危機のとき避難所として設立された掲示板だが、僕が見始めた頃には「二次元裏」板を中心に独自のコミュニティを築いていた。僕が初めて配信文化に触れたのは、そのふたばだったと思う。当時は音声配信(ネットラジオ)が主流で、僕は主に二次元裏(dat)で活動していた「めだあき」という配信者のラジオを好んで聴いていた。(ニコニコ動画に1本だけアーカイブが上がっている。 )
 僕がLinus and LucyをよくBGMにしていたのはめだあきの影響だったりする。(配信の著作権問題については重要な話題だがここでは措いておく。)

 配信文化全体の歴史を語るような知識を持ち合わせていない(何より僕はPeerCastを知らない)ので僕の観測範囲に限った話ではあるが、2007年頃から動画のストリーミング放送をちょくちょく見かけるようになっていた。
 音声と違い、動画配信は個人配信者自らがサーバとなって直接データを視聴者へキャストするのが帯域の関係で難しい(小規模なネトラジはこの方法が多かった)。その解決策としては主に2つ、PeerCastのようにP2P技術を導入するか、別途動画ストリーミングサーバを介してキャストするか。サーバを用意するのは金がかかるので先に流行したのはPeerCastだったが、配信者や各ノード(中継者)でポート開放が必要、動画を見るだけのリスナー側でもクライアントソフトの導入が必要など、技術的ハードルが比較的高かった。

 そんな中、存在感を出し始めたのが「Castily(通称かすてら)」と「Livetube」という動画配信サイトで、どちらもストリーミングサーバが提供されたため配信者は帯域が多少貧弱でも良く、ポート開放も不要となり負担が軽減された。また、リスナー側はブラウザ上のFLASHプレーヤーで動画の閲覧、さらにそのページ上でコメント投稿ができること(それまでは2ch、したらば、ふたばなどの掲示板をコメント欄とすることが多かった)から、閲覧のためのハードルが一気に下がった。ただ、Castilyは2008年1月に閉鎖してしまう。
 Livetubeは設定項目が簡易な配信用のクライアントが用意されていたため、Windows Media Encoderなどのソフトも不要でjavaランタイムとクライアントをインストールすればすぐに配信を開始することができた。

 こういった要因、またクライアントが日本語だったこと(ここ重要)などから、2007年終わり頃から天鳳配信が一気にLivetubeに集まるようになる。

(続く)

 

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