芥川賞作家医師の「サンショウウオの四十九日」を双子娘の父でもある臨床医が読んでみた
芥川賞を受賞した作家であり医師である朝比奈秋さんの受賞作品である「サンショウウオの四十九日」を寝当直中に読破した。
結合双生児といえば我々の世代だとベトちゃんドクちゃんが有名だが、その中でも特に特殊な一つの脳を二人が共有する頭部結合双生児である濱岸杏さんと瞬さんの微妙な掛け合いで小説が進む。
二人の父親も伯父と特殊な双生児である胎児内胎児であり、実はさらに嚢胞にもう一人の弟がいた(三つ子ともいえる)。
手塚治虫の漫画・ブラックジャックに登場するピノコは奇形腫なのでこの嚢胞の三男とほぼ同じと考えてよく、胎児内胎児の奇形腫との違いは脊柱が存在することらしい。
嚢胞内の弟は生後すぐ亡くなった、と小説内で紹介される。一方胎児内胎児の兄であった伯父は生後虚弱であり、本小説の半ばで急死する。
頭部結合双生児は単なる奇形ではなく、「完全に一人の肉体の中に二人の人間が共存する唯一の人間」といえるようだ。ベトちゃんドクちゃんと違い、杏と瞬は5歳まで外見的な異常があったものの二人の人間が共存していることは親にも気づかれなかった。
「250万分の1よりずっと低い確率」と表現され、他の誰にも共有できない、どれだけ奇形児を研究した学者にも共有し得ない感覚を、杏と瞬は生まれた時から備えている。
執筆にあたって医師である作者が仕入れたと思われる本疾患の知識は、小説内では自らの奇形と向き合い図書館で調べた杏の独り言として披露されている。そうした奇形双生児としての医学を元に、精神医学や哲学の観点から「一人の肉体の中に共存する二人の人間」は考察される。そして自分(達)と同じく奇形双生児であった伯父の突然の死に直面し、若い杏の心が乱れ、逆に小児期を振り返りながら冷静な瞬の両者の視点から後半は急展開する。
この小説は、単なる症例報告ではなく、唯一無二なこの特殊奇形を通して精神と肉体が一つのアングルから考察されたものと捉えることができる。独特の世界観に引き込まれながら、非常に不思議な感覚を持ちながら一気に読めると思う。
そうは言っても、読者のほとんどは「へーーこんなことがあるんだね!?」という感想で読み終えるのではないだろうか。共感という点ではほぼ0%に近いと思う。一応私は医師であって一定の医学知識(といってもこんな奇形疾患の知識は素人並だが)があること、また娘が双生児であることから、1%程度の共感をもって読了したと思う。
身内に双生児などおらず、不妊治療や高齢出産といったリスク因子が一つもない中で妻が双生児を身籠ったと知った時には、もう18年前になるが何とも言えない不思議な感覚に陥った。
医学は基本的にはサイエンスだが、倫理も宗教観も社会問題も、様々な要素が絡み合う興味深い学問だと改めて感じている。