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第四話・父の問題

「毒親」と世間一般に言われる人たちって、実は精神的に病気を患ってる人なんじゃないのかしらね?と思う私。自分自身の毒親を完全否定する前に、各自で、実はうちの親って病気?って疑ってあげることも必要なのかもな?って思ってる。

遺伝子の勉強を事細かくしてなくっても、自分は両親の遺伝子を合わせて出来ているというのを誰もが知っているはず。だとしたら、自分が毒親だと思ってる、自分の両親の遺伝子を半分半分受け継いでるってことに着目すれば、親の精神疾患って何だった?って疑問になるはず。何故なら、そうなると、自分自身の行いも気になって来るから。もし、自分の子供に何かしら問題があるのならなおさら。

で、私は両親の精神について疑問だったので、今沢山その手の情報を集めている。という流れで進めていきたい。(絶対長くなるからw)

私は、父と長く一緒に居た割に、父の事を良く分かってない気がする。しかも、弟が亡くなった時に調べたら、実は父も何年も前に亡くなっていたという事が後から判って、そのことにショックだったが、やっぱり、父の最後は、こんな風になってしまったかと納得できた部分もあったのだった。

それくらい、一つ一つのエピソードを見て行けば、父の性格的な要素が関係してる様にも思えるのだが、一連の流れで見れば、やっぱり、父もパーソナリティー障害を持っていたように思えて仕方がなかった。

ざっと、父の生きて来た道程を話さないと話が出来ないので、お付き合い願いたい。(長くなるという事)

父は、祖母と祖父に生まれた7人兄弟のうちの3番目。(人数を修正した。どうしても一人いつも忘れてしまう叔父さんがいた。父のすぐ下の叔父さん/最後の女の子は戦争中に餓死してる)祖母は東京の出身で大正生まれである。なので第二次世界大戦の前に関東大震災も経験している。祖父は埼玉の農家の家の出身だと聞いた。祖母は好きな人と結婚できなかったので、祖父とお見合いで結婚したと言っていた。

そんな祖父母夫婦にも問題があって、それは祖父の女関係。どうやら、父の家系の男は、恋愛脳が問題だというのは割と早い時期から感じていた。すぐ人を好きになってしまって、泥沼にどっぷり嵌るという感じかしらね。この辺も後程細かく。

父と弟の件で、父方の伯父たちと話をすることがあったのだが、そこでも、知らなかった父の顔というのを知ったのだった。父のすぐ上の伯父さん曰く、父が病弱だったので、伯父さんは、母方の親戚の家に里子に出されたと言っていた。子供の頃は、自分はあの家族からすれば要らない者だったのだ。と、子供心に悲しかったと言っていた。

けど、結果的に伯父さんはラッキーだったように私は思う。なぜなら、伯父さんは当時の東京で名門校と言われた高校に通えたらしい。うちの父の兄弟は勉強が出来る。そこを卒業して、某日本が誇る時計会社に入社して、退職するまで時計のデザインをしていた。私の父の家系は理系である。

父の家は今でいうワンオペの貧乏極まりない家だった様だ。何故なら、祖父の女遊びが酷く、お金がいつも足りない状態で、挙句、女のところに行ったきり帰ってこないので、「お米を買うお金をください」とお父さんに伝えなさいと祖母に言われ、伯父さんは、電車に乗って祖父が入りびたる女のところへ、その旨を祖父に伝えに行ったと言っていた。

母から聞いた話で本当かどうかは確認を祖母に取ってないので眉唾なんだが、祖父は戦争中に吉原に通うために祖母の着物を売ってまでして女を求めに行ったと言っていた。

そんな話を母から聞かされていたんで、小学生の時に2回、中学3年の時に祖父に会ったきりだったけど、あんまり上品なイメージがない。中三の時には、色が白くなったなぁ。と顔をまじまじ見られ 気持ち悪い!この爺さんと 思ったものだった。笑 (思春期) そういう時は、○○ちゃん、大きくなったなぁ。って言うに止めるんだよ!って思った。私には女の見方が気持ち悪い人と言う印象だった。(こういう男性が苦手)

父の兄弟のほぼ半分は、女性問題が何かしらあった。それは、父の兄弟がこの祖父のカルチャー(文化的なもの)に影響を強く受けてるのだと私は思う。本人たちは全くそうは思わないとは思うけど。

祖母も祖父がいけないという事と教えてないってことになる。毒親の片棒を担いでしまっている。と私は思ってる。祖父母の事は尊敬はしてる。けど、私はこの教訓から、夫が大人げない行動をとった時、息子に、ああなっちゃだめだよ と一言いう事にしている。いけない事をしてる大人をバッサリ切ることも子供の教訓になっていいと私は思ってる。それが夫婦でも。でも、昔の人はそれがいけない事だと思ってるのだと思う。夫に対するリスペクト云々。(BS)結果、息子は素直に育ってるので、私は満足している。父親との関係も良好だしね。私は正しかったと自分では思ってるよ。

妻の着物を売ってまでしてと思うと、祖父も心の病気?と思うのだがね。そんなこんなで、祖母は6人の男の子を育てるのに必死だった様だ。私の弟が亡くなった時に会った、おじさんたちが口をそろえて言う父の性格は、甘ったれ だったのだ。私には意外だった。なぜなら、いつも偉そうに正しそうなことを言っていたから。めっちゃがっかりした。笑 (まあ、私は父の言いなりにならなかったけどね/私の兄弟3人とも初期運は冠帯・ここが四柱推命の侮れない所なんだw←分かる人には分かる)

父が会社の社長にどのような経緯でなれたのかも、その時叔父さんに聞いたのだが、なんでも工業高校を卒業したが大学へは進学できる金がなく、会社勤めをする。会社の営業だった父は、東京―横浜間を自転車で営業してたらしい。その根性が買われて、社長を任されたと聞いている。

そして、弟たちを雇って一緒に商売をしようと頑張ったらしい。その話をしてくれたのが、一番下の叔父さん。弟の面倒見は大変良かったという事だった。父の会社には父の兄弟の他に、10人従業員がいたかどうか?という感じだったかな。子供の頃、何人かの従業員(おじ様たち)と、会社のすぐ横にあった銭湯に行った記憶がある。笑 今はその銭湯もない。

会社が全盛期だったころには、横浜の山下公園にある老舗ホテルで忘年会もしたと母が言っていた。何かのショーを大広間で見てる最中に、大きな柱でショーが見えにくいので、ブルトーザー持ってこい!と誰かが叫び、大笑いしたと母が楽しそうに話してくれた。(話を盛る癖のある母の話なんで本当かどうかは・・・)

余談だけど、偏官が沢山(4つ)命式にある私。浮いた話が一切ない私になんで?と思うが、ああ、この、おっさん達(従業員)かー!と妙に腑に落ちるのであった。笑 (偏官は夫ではない男の影?)弟2人といい、父の会社がガテン系で男ばっかりと言う事で、私は生まれつき、男に囲まれてるって訳なのね。納得。

話を戻す。そんな経緯で社長になった父の私のイメージは、面倒見がいい、料理もできる、子供が好き、女遊びもする、頑張り屋、甘ったれ、すぐ下の弟とはあまり仲良くなかった、アウトロー気味な事をする(国民年金を一切支払てなかった)、銀行の人に横柄な態度、母に暴力、弟にも暴力、子供を出しに使う、子供の将来を真剣に考えない、子供の躾けと称してなんでも言いなりにさせようとする、教育熱心な部分もあった、恋愛脳で費やす金も収入以上、仕事の仕方に波がある。というキーワードが思い出される。今ざっと上げただけで、これからまだまだ思い出すだろうから、随時加えて行こうかと思う。

またまた余談になるけど、今話題の太陽光10億円詐欺のM夫妻。その夫M氏の父である人は教育学者だという事だが、一月万冊のユーチューブ動画を観てはっとしたことがあった。それは、その教育学者の言う躾けっていうのが父のそれに似てるから。父は、はっきりと自慢げに、子供の躾けは、押しつけだ! と言っていたからだ。私はその時思ったわ。ああ!お父さんこの人の本読んでるわ!って。笑 (その本の出版はうんと後だろうから、違うとは思うが)

私もアメリカ人と国際結婚してるけど、この教育学者の言う、アメリカ風な教育って、全く違うと思う。アメリカって、人によって、地域によって人の考え方が全然違うのにね。しかも移民の国なんだよ!アメリカに居る白人だけがアメリカ人じゃないしね!と思うのだった。

私の夫も、赤子が泣けばすぐ飛んでいくのは良くないと、私を否定した。そんな余計なことを言ってた夫だったが、私は赤ちゃんが訴えてるのを親が無視して、その赤ちゃんが後にきちんと自立出来るわけないと信念を持っていたので、日本の親のやり方を通した。夫とは、真っ向から戦った。それをしないで、妻の言いなりになった自分を正当化した結果が、この本なんだなって思った。私はその本をすべて読んだわけじゃないので、私の憶測だったら謝罪する。

私は健全な心の人間を育てるには、まずはその子の人格をリスペクトすることだと思ってる。それが親の愛であると思う。父や夫や義母が何と言おうと、自分の意思を貫くことが出来る神経が私にはある。そんな変な言い訳をする人たちと子供の為に全力で戦えるのだ。その戦いをやめた人は毒親化するのだと私は思ってる。(意思が弱い大人)

夫の母もそんな人だった。なので、夫の双子の兄弟はそれが理由で人生をダメにしたと私は思ってる。夫の家族も機能不全家族で、私の子供たち曰く、私の家庭より酷いという事だ。(うちも相当ひどいけどねw)

長くなったので、一旦ここで切る。続く






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