「特別願望」お花畑妄想から現実直視
特別な人生を歩むお花畑の中で、自分を常に主人公にし生きていた私。
他人の反応や自分の妄想で築き上げた思考の世界は、かばうように言えば現実から目を背ける逃避の場だったのかもしれない。
空想の中で生きた私に、周りから現実を見ろと思われていたとしても、本人自ら直視するのは難しいと思います。
こんなドラマチックなことがあって、、旅行に行ったらお土産家さんのおばあちゃんが私のおばあちゃんに似ていて、優しくしてくれて、買ってからよいことばかりおきている気がする、天国より。
(現実は普通のおばあちゃんから買ったお土産、良さそうなことがあれば、そのせいにして奇跡としておきたい(希望))
痩せるサプリメントで1週間くらいで痩せた気になる
少し運動しただけで、ずっとやっている気になる
手抜き仕事を「できる女はジャッジがはやい」とする
著名人のセミナーに行き名刺交換しただけで友達になった気になり、メールを送って返事がきたら、好意に感じていた、
もうあげたらきりがない、文章にすると生々しく恥ずかしい、笑
どうしたらこうなるか。
1.特別な自分の都合いいことを優先にして思い込む
2.広がる妄想の世界
3.本音を語れなくしてしまった人間関係で会話が成り立つ
パーソナリティ障害の特長として、「神経症」「統合失調症」の間。
だから、内省と現実をみる力は極めて弱い
50代の女性に「あなた、痛いですよ」と言ってくれるわけもなく、気づくにはプロのカウンセリングを通じた年月が必要だった。妄想や誇張を繰り返しては「特別でありたい」という願望にしがみついていた私。でも、ある日先生に言われた一言が響いてきました。
「なぜそんなに特別じゃなきゃダメなの?」
その言葉にどう応えていいかわからず、黙るしかなかった。それでも心の奥では「特別じゃない自分なんて価値がない」と感じていた。
とりあえず、先生の前で自慢や特別感を出さないようにはできそう。(カウンセリングになっていない外面からはいる)
それにしても、、はじめて言われた言葉、、
周りの人からわぁーすごーいと言ってもらいそのまま、真にうけていたのか。。。
え?いけないの?これ?あれ?先生は感覚が独特なのかしら、難しいなーとか、なかなか消化できず。。
4年経った今、妄想を止める練習は
始まった時な気づけたらストップさせる。その繰り返し。自己流。
自慢をやめて、嘘をつかないようにする。
私の特別は、カリスマ、リーダー、偉大、天才、人気、魅力、賢い、が好きだったかな、かつて、メッキでも自分が憧れた人、尊敬した人になることで結果、強く思い込み、人を見下す態度に発展する。
特別扱い、、、
これがないと誰からも相手にされないという勘違い。
同じことしてるのに、カリスマ性や人気のある人は「起きたよ」くらいのコメントにいいねつきまくるわけで、人として違いがわからないしチヤホヤが羨ましすぎたのかな。
主演級の脳内演出もなりきればあとからついてくると、、これは演技性からきたかな。
私はこれらの自覚は、まず違う側面からみれるかどうかにかかっているんじゃないと、都合の悪い側面に疑いをかける→まずはカウンセラーに投げかける→案の定→さらにエピソードを都合悪いところからみる。→恥を味わう→自分を笑う(直視はなかなか耐えられないから)→まずは止める。
恥を受け止めて人前に出るのは覚悟がいるけど、謝罪を相手に伝えられた時は、それ以上の言葉がないことを知ったし、見下すことのかっこ悪さに気づけた時は、ようやく一員になれたような気分になる。
どれも思考と心が一致している。これが嬉しい。