ジュニアカップ
まだまだ10歳の子どもたちに躾と題してサッカーをプレーさせることは果たして誰のためになっているのかとの疑問はここ数年の地域の環境から解けてくることは多くそれを再確認出来たジュニアカップでした。
私自身はおそらく負けず嫌いであり勝敗については貪欲に追及するという本質を持っています。
それはあくまでも自身のことでありプレーする子どもたちへは一切関係のないことですので活動の中では子どもたち目線となりその本質を表面に出さないよう自身をリセットし活動へ参加するよう心がけています。
これがなかなか難しく今でも子ども向けではない自分が出てしまう時もあり苦労が絶えない指導者としての悩みの一つでもあります。
これは20年近く指導の経験から得られたものであり5年前は?10年前は?と自問すればまた違う形を取っていたことも事実でこれからも子どもたちの成長が一つの答えとなり常に最適化を望めば変化していくことでしょう。
他のチームと比較してしまえばウチの子どもたちのプレーは子どもっぽいと思うこともあるでしょう。
これは子どもらしいということで子どもが子どもの時期を過ごす何ら疑問とならないことです。
他チームの保護者の方とお話しする機会もありそこに感じることは「今」という強い満足感と「先」に対する高い期待感、これには周囲との比較による焦りの感情を強く受けそこに愛はあるんかと問いたい時もあります。
経験から学ぶ前に教わることでその場はしのげても解決にならないことは多くありそれに気付くのは今ではなくまだまだ先となります。
もう少し好奇心のままプレーさせたいですしそれを望むのは子どもたちの在るべき姿でありそれを壊すのは大人側であると常に自戒は必要です。
正しさを経験するのも成長、失敗を経験するのも成長。
ですが今だからこそ正しさより失敗を経験しながら育って欲しいと思います。
たくさん転ぶことでしか身につかないのは転び方。
逆立ちへの恐怖心は背中から落ちる恐怖心が最たるもの。
失敗の中で転び方を経験する、背中から落ちると痛いという経験からバランスが保てないなら片手を外して横に着地することを得ていきます。
これが経験となると逆立ちに近づいてきます。
私たちのカラダは身体能力をどんどん伸ばしたい身体の持っている才能をどんどん発揮したいという本能を生かすことが出来るとは私の師匠の言葉。
この時期に子どもたちの心にオモリを乗せ身体を縛り付け心身の解放から遠ざかることは余白を埋められはみ出るものがなく見栄えの良いだけにすぎません。
自覚的に成長が望める中学、高校に近づくにつれて余白のない自分への劣等感と向き合うことになるでしょう。
このジュニアカップでは選手の解放と大人の静観が確認出来た良い機会だったと感じています。
バランスを保てず転んだり前を見ずにぶつかったりと多くの経験が刻まれたことと思います。
そんな中にもこんな場面が増えてきてることに目を向けて下さい(写真2枚目)
相手をしっかり観察し縦に行こうか右に行こうかと選択肢を持ってプレーしている場面です。
普通はこの年代ですとボールは右足の前にあり顔は縦を向き逃げるように縦に走り続けてしまいます。
縦にも右にも行ける身体の操作性と自分で選ぶという選択の習慣がみれます。
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