眼球が引き取る光
母さんから電話がかかって来たのを2回無視した。初めは、ゲーセンで遊んでいることがバレるのを恐れて。2回目は、もう2分もすれば家に着くから。
自転車を軽自動車にぶつけないように慎重に車庫の奥まで運びながら「着信気づかなくてごめんね」と口元を動かして筋肉をほぐした。頭で台詞を考えるのと、一度口パクを介するのでは、言葉の滑らかさが変わってくるからだ。母さんとは円満で居たかったから、嘘をつく時はマスクの下で予行練習を欠かさなかった。
いざ本番を行うと、母さんはさほど気にしてない様子で拍子抜けしたが、顔には出さなかった。マスクもまだ外さずにいた。大体、シャワーを浴びる時に捨てるようにしている。今日は、ゴミ箱が満ちていて捨てるのを躊躇った。丸まった生理用ナプキンが詰め込まれている。押し込んでみるが粘着性のある部分とゴミ袋が引っ付いていて容量は変わらなかった。
大して客が訪ねることもないこの家にサニタリーボックスはない。役目を終えた歯ブラシや激落ちくん、使い切ったコンディショナーのサンプルを捨てるゴミ箱にナプキンが捨ててある。ナプキンを使うのはこの家で母さんだけ。ゴミ袋を変えるのは大体お母さんで、それは決まっている係というわけではなく、母さん以外の家族、父さん、兄さん、僕が変えないから仕方なく変えている状態だ。3人とも注意されたら、「あぁ」とか「はあ」とか曖昧に了承してみせて自室に戻る。そういう生活が時計の針とともに循環している。
スクールから今週火曜日と水曜日と木曜日欠席だったと連絡があったと母さんは言った。「水曜日は家に居たけど火曜と木曜はどこに居たの?」夕飯は胡桃とトマトをマヨネーズ和えたサラダと、山芋の天ぷら、白米、葉まで使用した大根の味噌汁と栄養バランスが高いんだか低いんだか分からない組み合わせだった。
父さんは、母さんの横でテレビに視線を据えたまま「もういいだろ」と口にした。母さんは、2年前から父さんの声を透明に扱うようにしているから何も返さなかった。居心地が悪い食卓が何年も続くと、会話がないことが1番落ち着くように思えた。台所のシンクに食器を片して「ちゃんと通います」と言うと同時に兄さんが帰宅したから入れ替わる様に子供部屋に逃げた。クローゼットで3DSを開く。衣替えが勝手に行われていて私服はほとんど半袖になっていて、唯一ある長袖はスクールのブラウスだけだった。
週が明けてスクールに行った乗り換えが2回ある通学路で目的地の最寄りの駅へ向かう線で人身事故が起きてしまい、いくつかの車両が停止、運休となった。いつも定期を使っているので別の駅を使って登校するルートを知らなかった。調べれば分かるんだろうけど、検索エンジンは開かずに、臓器提供を分かりやすく解説したページを開いていた。脳死で提供できる臓器は心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸、眼球の7種類、心臓死で提供できる臓器は腎臓、膵臓、眼球の3種類だと駅のホームで知った。眼球を移植するイメージがうまく出来なくて鎖骨が痒くなって掻いた。見たものをまっすぐに歪みなく受容できるのかな。こういう考えって自分の身体を至上としているみたいで気持ちが悪いですよ。
視線を上げるとホームには人が居なくなっていた。遠くに改札に向かって階段を上る背中が見えた。僕が今着ている服と似ている。制服はどこの学校でも特に変わりなんてないように見えるから、同じ学校か確かめられなかった。そもそも、僕は視力がすごく悪いから自分と相手に限らず、複数を比較して違いを見つけるのが苦手だ。駅の壁に貼られたアイドルのNewシングル広告も顔の無いマネキンに見えて、昨日母さんがどんな表情で僕に学校へ行くよう促したのかも覚えていない。
昔、マジックを見せてもらった時のことを思い出す。「では、このトランプの柄と数字を覚えていてくださいね」「次に、よーく手元を集中して見ていてください」と進めていくマジシャンの顔を僕は見ていた。手を見てくださいと言われたら意識がそちらに引っ張られるから、誰にも見られていないとき人はどんな顔をしているのだろうと気になったからだ。大して面白い顔はしていない。なのに、淡々とカードがシャッフルされる音は遠ざかって、マジシャンの顔は近づいたように見える。その後は、テレビで見るような順序(表裏が混在したり、破り捨てたり)を踏まえて最初に見せられたカードと同じ柄と数字を再確認して驚いた。兄さんは興奮していた。母さんと父さんは兄さんを見ていた。二人も手元なんて注視してなかったように思う。僕は、額の皺やつむじから伸びる白髪の数を見て、声から推測できる年齢より実年齢の方が上だろうなと考えていた。
駅を出た時には欠席の意思は固まっていた。タワレコで特典映像付きのCDを買うとファミレスやコンビニに行くお金がなくなった。スーパーの、赤と黄色の割引シールが目立つおにぎりを一個お腹に落とした。スーパーのプライベートブランドのしゃけとコンビニの紅しゃけとの違いが分からないから咀嚼していることを意識せずに咀嚼を終えることができる。それは好都合な無知だった。スーパーのイートインスペースには高齢の方が多く、話し声がデカかった。聞こえてもいい会話をできる相手が居るのは幸福なことだと思う。移動献血車が宝くじの売店横に駐車していた。スタッフに話しかけて中に入ってアンケートに回答した。結局、血色素量が足りなくて断られた。時間を持て余したので、仕方なくスペースを聞いたりコミュニティを覗いたりして暇を潰した。
トイレでアフィリエイトの状況を確認していると、LINEの通知が上から降ってきた。同じクラスの人がグループに中間考査範囲の写真を送っていた。教室後方の黒板に教科毎で掲示されている。数学Cの紙がコミュ英の紙に被っており、ページの先頭の数字が分からない。スクールではスマホの使用は禁じられているので、先生の目を盗んで撮ったのだろう。「ありがとう!」「助かる」とコメントを返すのはクラス内でも率先して発言する人たちで、特に関係の深くない人はリアクションで感謝の意を示していた。コメントをする人はアイコンが表示されるので名前と結びつけて記憶できるが、リアクションで済ませる人はどれが誰か皆目見当が付かない。
用を足すつもりで入室したわけではないので、ズボンは下ろさず便座に腰掛けていた。
人を分かる日なんて来ない。分かった瞬間にはぐれていくように思える。ってか、人を分かるってなんだよと笑ってしまう。共感できたら、相手に理由を訊かなくなったら「理解」は成立するのだろうか。そうしてもらってまで感情と他者と自分を織り交ぜたいとは思えなかった。自分の思考へ誘うようにしているが、逃げていくようにも見える。もっと超越した場所へ行きますから、冷めた抜け殻でも抱いていればいいんじゃないですか。
結局、用を足すことなく立ち上がり個室を出ることにした。流水は大にした。何となく、手も洗っておいた。周囲の利用者にトイレから出て手を洗わない不衛生な人間だと思われるのは嫌だったから。どうせ忘れられるにしても、束の間意識されるのは存在が濃くなる匂いがして不都合だ。
僕は、春を理由に何か始めようと息吹く空気が不味くて嫌いだけれど、夕陽がとぷとぷと落ちていくのはゆっくり見ていたいと思った。嘘です。金が無かったから、どうにか興味があるように思い込ませるしかなかった。街路樹や歩道橋に遮られているから、数分で飽きた。帰宅ラッシュの人々も一瞥することはない。いずれ忘れてしまうものをその時だけ懸命に感じようとするのは滑稽とすら思った。みんな目を瞑れば、みんな何も見えないままでいられるのに。電車の鼓動を背と爪先で感じながら、子供部屋を目指す。
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