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朝散歩、袖振り合うも多生の縁
朝散歩に出かけた時のことなのですが、交差点で信号待ちしていると、
隣に半袖に短パン姿の、季節外れにも程があるだろうってツッコミたくなるおじさんが立っていた。
ノイズキャンセル付きのイヤフォンで音楽を聴いてた僕に隣で何か話しかけてきているのが横目で見えた。
普段の僕はそういう場合、下手な作り笑いで会釈したり曖昧な返答でその場から逃げる方法を考える。
なぜなら、僕は地元愛媛の田舎の交差点で農業用の鎌と刈り取ったばかりの玉ねぎを持った近所のおじちゃんと信号が青になるのを待っているのではない。
アメリカの、ロサンゼルスの、なんでも起こり得る場所の交差点の一角で全く知らないおじさんがものすごい勢いで僕に何かを言っているのだ。
(今考えるの、鎌と玉ねぎを持ったおじちゃんも結構やばいかも笑)
でも今日の僕は少し違った。
何を思ったのか、左耳に着けていたイヤフォンを取り、What's up?
と恐る恐る聴いてみた。
すると、なんてことない、おじさんはただ信号がボタンを押したのに一向に青にならないことに対して僕に不満を独り言のように呟いていただけだった。
信号のボタンを押したのも僕だし、まだ押してから1分も経っていなかったという気持ちは自分の心の中だけに留めておいた。
でも、そのおじさんと3回くらい会話のラリーをして信号が青になり交差点を渡り終えお互いが違う方向に行く時向こうから Have a nice day! と言われすごく気持ちが温かくなった。
僕も思わずいつもよりワントーン大きな声で You too! と答えた。
僕はその後一人で歩きながら考えた。
なんで、いつもみたいに無視してその場から離れなかったのだろうと。。
おそらく昨夜読んだ本「海辺のカフカ」のワンシーンが無意識的に頭に残っていたのかもしれない。
そのワンシーン、家出少年の主人公が高松行きの夜行バスの中で一緒になった女性との会話の中での一文にあった、
「袖触れ合うも多生の縁」
見知らぬ人と袖が触れ合う程度のことも前世からの因縁によるという意味から、どんな小さな事、ちょっとした人との交渉も偶然に起こるのではなく、すべて深い宿縁によって起こる。
自分なりに解釈すると、捉え方次第で人生に無駄なことなんてなく全て必然的に起こる事象なのである。
だからあのおじさんと今朝たまたまあの信号で同じになってたわいもない1分にも満たない会話も今の僕にとってすごく大事な出来事であったのだろうと思えるし、そういった捉え方の方が人生たのしいなって思えた朝の出来事でした。