いとしのばぁば

わたしのおばあちゃん、“ばぁば”は一人で暮らしている。いや、正確に言うとひとりと1羽、セキセイインコのチコちゃんと一緒に暮らしている。

11年ほど前、私が小学6年生の時にじぃじが死んだ。

その後、1人になったばかりのばぁばは、すごく痩せてしまって元気もなかったが、そのうちお友達とバスツアーに申し込んで遊びに行ったり、ヒトカラに通ったりと元気に過ごすようになっていた。
当時ばあばは仕事もしていたので、毎日ほんとに忙しそうで、会いに行こうと思ったら既にその日は予定が埋まってしまっている、ということが割とあった。


「いつもアクティブで忙しく、楽しそうに過ごしてる」
家族も親戚も、みんなそんなふうにばぁばのことを捉えていたし、本人もすごく楽しそうだった。


私が高校を卒業し、社会人になった頃、ばぁばは少しずつ変わっていったような気がする。
体調を崩して入院することが増えたのだ。

もともとばぁばは糖尿病を患っており、私の物心ついた時にはもうすでに毎日お腹にインスリン注射を打って、指にパンチのようなもので針をさして血を出し、血糖値を測って記録していた。

入院が増えてから、ばぁばは仕事を辞めた。



今日、1年ぶりくらいにばぁばに会いに行ったら
「久しぶりやん!5、6年ぶりか?」と言われた。

久々にしては盛りすぎてて面白いのと、それくらい会えてないように感じさせてたのかなっていう申し訳なさとで少し複雑な気分だった。

それからばぁばは色んな話をしてくれた。
高校時代は警察官であったひいおじいちゃん(ばぁばのお父さん)がめちゃくちゃ厳しかったので、反発するように家に帰らず友達の家を転々としていたり、学校の月謝を使い込んで遊んでいた話、じいじとのドラマみたいな馴れ初めの話、実は恋多き乙女だった話…いろいろと聞かせてくれて楽しかった。

ばぁばは話している中で何度も「もし何かあった時のために、部屋の片付けと葬式代になるくらいのお金は置いてある」と言っていた。
その度に母が「今はそんな話しなくていい、元気でいてくれるだけでいいから!」と言うのだけれど、ばぁばはでもなぁ〜…と言葉を濁していた。

直近の数日間の記憶も曖昧で、最近は全く家から出ていないと話していたと思えば、役所に忘れ物をしたので確認しに昨日出かけた、と突然話し出したり。

役所の人に、「自立した生活ができているので認知症ではなく年相応の物忘れがあるだけです。」と、言われていても、本人もきっと“思い出せない生活”を続けるのが不安なんだろう。

母が「あと15年は生きよう、それが今の目標ね!」と
ばぁばに言った。ばぁばは困ったような顔で「15年?長いわぁ〜」と笑った。

笑っていたけど、心の中では本当に困っていたのかもしれない。そんな気がした。


帰りのバスの中で母は見たことがない真剣な顔をしてばぁばのこと、まわりの親戚のこと、これからのこと、色々話してくれた。




ここまでを書いたのは2022年の3月。
続きをどう書こうとしていたのか忘れてしまったけれども、下書きが残っていたので、公開せずにおいて置くのも勿体ないなと思い、今日公開することにした。

今もばぁばは、介護認定が下りない程度の、
曖昧な記憶の中で、ひとり生活を続けている。
インコのチコちゃんは亡くなってしまったらしい。

仕事やら何やらで忙しく、なかなか会いに行けていないけれど、ばぁばが心穏やかに生活してくれたら、それが何よりだなと思う。

もうすぐお誕生日だね、お誕生日会にはみんなでケーキ持って会いに行くね。元気でいてね、ばぁば。

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