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おじいのそうしき

先日の「日々是着物」では、
みなさま、たくさんの「スキ」をいただきまして、
『駆け出しのもの書き』としては、本当に嬉しく、
ここに御礼を申し上げたく思います。謝謝


前回のお話の後日談のような、
祖父の葬儀にまつわる話をしようと思います。


親族の中で、通夜に参列できなかったのは僕一人で、
葬儀の日の朝に、大阪から新幹線で実家に帰りました。

姉などは、かなり泣いたことがわかるくらいに、目を腫らせており、
他の親族にしてももちろん、一頻りは悲しみを表し、
皆その場の空気を共有しているんやなぁと、他人事のように思ったものです。

祖父の葬儀は自宅葬だったので、
僕が実家に到着した時にはまだ棺桶にも入っておらず、
布団の上でただ寝ているようでした。
当時の僕は、髪の毛を真っ赤に染め上げ、
黒は黒でもモッズが身に纏うような細身でスタイリッシュなスーツで、
金田一耕助が持ち歩いているようなトランク片手にタクシーから登場する様は、
なんとも形容し難いほどに、その場の雰囲気とはかけ離れていたことでしょう。

案の定、特に近しい親族からめちゃくちゃに怒られ、
「この家の長男はどうなっとるんや・・」と言われながら、
すぐに礼服へと着替えさせられてしまう訳ですが、
そんな中でも祖母だけは、僕の心の内をいつでも見抜いていたので、

「こんな孫でも、お爺さんとゆっくり別れの挨拶をさせてあげてくれ」

と、人払いをしてくれて、暫くの間、おじいと二人、仏間で過ごしました。


僕は、誰かの死にあたり、涙を流したことがない。(ただ一人を除いて)


中学1年の秋に、血液のガンで母を亡くした時も、
昔からずっと大事に育ててくれた隣の家のおばあが亡くなった時も、
仲の良かった吹奏楽部の後輩や、良く面倒を見てくださった小学校の時の担任の先生がなくなった時も、涙を流したことがない。

この時も涙を流すことはなく、ただ、おじいの横に正座をして、
小学生の時までの楽しかった日々の感謝と、
中学校以降の、どうしようもできなかった衝動についての謝辞と、
以前のように気軽に話すこともできなくなったことへの後悔を述べ、
必ずや何らかの形で実を結ぶので見ていて欲しいと伝えました。

僕の思考はやはりちょっとおかしいのでしょう。

葬儀場で焼かれて骨となった祖父のかけらを、
どうせなら僕の身体の一部に取り込みたいと思い、
冷まして食べようとしたのですが、見つかって止められました。

※ちなみに「骨噛み」と言う、火葬後の骨を食べる風習もあるそうですね。
   この時にそれを知っていたら、多分食べてたなぁ・・

後から、祖母に色々と話を聞く訳ですが、
祖父はいつでも僕のことを気にかけてくれていたそうで、
事あるごとに僕のあずかり知らぬところで、

「あれは将来、落ち着いたら全てが良い方に転ぶから心配せんでいい」

と言って、僕の好きなようにさせてくれていたようです。

祖母から祖父の話を聞くと、
祖父はよく一人で気ままに珈琲を飲みに行き、
演歌を歌うのが好きで、お洒落をして競馬に出かけ、
花を育てるのが趣味の、控えめでシャイな人だったと言います。

こうやって思い返す時間を持つことで改めて、
今の自分に本当によう似とるもんやなぁ・・とつくづく思います。

またいづれ書くと思いますが、
名家の出であると言うことも誰に言うでもなく、
なんとも器の大きい人。

そろそろ、期待に応えねばならんなぁ・・


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押六ダンパ
私の為に注いでくださった想いは、より良い創作活動への源泉とさせていただきます。こうご期待!!