医療に傷つけられ、医療に助けられた話
みなさんこんにちは。
今日も読んでいただきありがとうございます。
今日、勤務先から帰ってくる途中に盛大にライトアップされ、暗い夜道にキラキラと輝くお店がありました。何だろう、カフェかな?雑貨屋さんかな?とワクワクして近づいてみたら
........肉うどんのお店でした。オォ
今度行ってみようと思います。(笑)
そんなことはさておき、今日は『医療に傷つけられ、医療に助けられた話』をしてみようと思います。この話をしようと思った理由は、今の理学療法士としての自分を作った大きな要因の1つだからです。
まず、比較的健康体で病気にもかかりにくい私ですが、今まで4度手術しています。そして、リハビリを受けて理学療法士を目指すという、何とも理学療法士あるあるの王道パターンでここまで進んできました(急展開の小児ですが!)。
中学校の頃、私はバスケ部に所属していました。試合中、頭上を飛び越えるボールを目で追っていた時、いきなり足に力が入らなくなり、倒れこみ、立てなくなりました。その時の私は、膝から下が前を向いたまま、膝から上は後ろ向きになっており、膝を大きくねじる形で思いっきり膝の靭帯(前十字靭帯)をねじり切ってしまったのです(これまたバスケット+膝+怪我の王道パターン笑)。
そんなこんなですが、靭帯損傷はMRIで検査をしないと判断が難しいもの、かつど田舎に住んでいたので、整骨院に行き治療をしてもらい数ヶ月間は『膝の捻挫』としてガタガタの膝のままバスケットを続けていました。急激にストップをする練習で、足は床についているのに、太ももが前に吹っ飛んでいった感覚がありました(太ももが取れた!!と大騒ぎしていました)。
そして、私の病院巡りの旅が始まりました。
記憶が定かではないですが、とても苦しく、とても悔しく、とても長いものだったことは覚えています。
まず、小さな整形のクリニックに行ったとき「なんだかよく分からないね。ここでは判断できないよ。」という様子で軽くあしらわれたのを覚えています。血の気が多い性格だったので、医師に「じゃあ、どうすればいいんですか!!は??」とくってかかりました。その後も冷たい対応をされ、不安と悔しさと怒りが収まりませんでした。
元々病院が嫌いでした。そしてお医者さんが嫌いでした。その当時の医師は大体が大ベテランおじいちゃんDr.で、対応はそっけなく、質問や自分の意思と違うことを聞けば患者に怒鳴る・論破するような医師が多いと感じていたからです(今は違うと思いますし、石川の完全な独断と偏見がありますよ!)。
そして不安なまま大きな病院で、『前十字靭帯断裂、手術をしないとスポーツ復帰はできない、手術をしても復帰まで1年かかる』という衝撃的な診断が下されました。その時、キャプテンで、スタメンで、地区の選抜メンバーに選んでいただいた、一番全盛期でした。そして1年もたったらもう引退です。もう人生終わった...バスケもうできないのかな...と思いました。そんな時に冷たい対応をされた、まだ心が未完成な中学生はとてもとても傷つきました。
大きな転機となったのは、同じケガで手術をした2年上の先輩が、『東京で手術したら半年で復帰できるよ!引退に間に合うよ!』と情報をくれたことでした。そして、色んな巡り合わせやタイミングがあり、今でも大尊敬する整形の医師と出会うことができました(もともと希望していた膝の名医はその時期病気のためお休み中だったそうな)。先生は、整形の医師と思えないくらい物腰が柔らかく、膝の事も丁寧に説明してくれました。また、検査など二人きりになると、中学生の私に優しく声掛けをし、緊張をほぐしてくれました。
手術の時は、約2週間東京で一人きりで入院する事が決まりました(我が家の親の大胆さと、携帯を買ってもらえたことでALL OKなチョロい中学生の私)。『東京に一人で入院している、秋田からきた中学生』だったからでしょうか、毎日のように色んな医師が雑談をしに会いに来てくれたり、リハビリの先生もお部屋に遊びに来てくれました。色んな人に優しく気にかけてもらい、同室のお姉さま・おばさまとも仲良くなり、私の単独2週間東京生活はあっという間に楽しく終了しました(術後の痛みと、リハビリの辛さは涙が出ましたが!笑)。
そんなこんなで『お医者さんって優しいんだ。病院の人って優しいんだ。なんか、病院ってそんなに悪いところじゃないんだ。2週間色んな人が来てくれて嬉しかったな。』と思いました。
(差し入れのニンニクたっぷりのミネストローネを飲んでいる時に、医師に突撃訪問されたときは恥ずかしくて死にそうでしたが。)
高校生になり、バスケの練習していた時、また膝をやってしまった!!!という感覚がありました。また靭帯切ったな...と絶望しながら、またまた東京に行き、今度は半月板損傷で手術をすることになりました。断裂した半月板をもう取る(切除)しかないと言われていた手術前日、母から『先生がね、まだ絵麻は若いから、うまくいくかは分からないけど半月板を縫合してくっつけて治す方が良いんじゃないかって言っていたけどどうする?おばあちゃんになったとき、歩くのが難しくなるかもしれないんだって。』と言われました。判断の難しさと、将来歩けなくなるかもしれない不安から、初めて部屋で大号泣しました。そして、先生を信じて切除ではなく縫合することにしました。きっと前日まで先生もどうするか悩み、私たちの意思を確認し尊重してくださったことは、今でもありがたいなと感じます。
結果、手術は成功しましたが、見事縫合をぶち破り3度目の手術になりました!センセイゴメンナサイ...(笑)でも、母も私もやる事はやったからもう仕方ないよね、という気持ちでした。3度目となるとベテラン風を吹かせて、前に手術した時の物品を持ち込み、慣れた様子で同じ東京の病院に入院しました。もちろん無事成功し、この後はもう半月板ぶち破ってはないですよ!
大学生になってから、母より電話がありました。『東京の先生がね、絵麻の手術の経験から、半月板の再生術を研究しているんだって。治すために手術をしたのに何度もケガを繰り返し、最終的に切除することになってしまった経験からだって。テレビで取り上げられるんだけど、絵麻テレビにでない?』との話でした。大学生、全国ネットデビューです(笑)。先生にはお世話になっていたので、悩むことなく出ることにしました。意気揚々と参加しましたが、セリフが棒読み過ぎて先生へのメッセージは全カットされ、少しの雑談が出ていただけですがね...。まあ、そんなもんです。
でも、そこで私が感じたことは、自分の苦く・つらい経験も誰かの人生を変えることができるんだ。そして、こんなに優しくいい先生がいるのだから、私も患者さんには絶対優しくしよう、自分が傷つける側には絶対ならないようにしよう、という事です。
膝の怪我だけではなく、今まで医療では何度も傷つきました。そのたびに、何度も医師に悪態をつき、文句を言い、嫌な気持ちで帰った事は数えきれません(ノロで苦しいときに、君の年齢じゃ検査できないよ馬鹿なの?的な事を言われた時はさすがにブチ切れました笑)。
そして、患者になったとき、私を助けてくれたのも医療でした。
だから、医療側になった今、全部がうまくはできないけど、人を傷つける側にはならないように意識して理学療法士としてお仕事をしています。
鈍感にならないように、繊細に物事をみる努力をして、元気に明るくお仕事を続けていきたいと思っています。
最後に、医療側に回った立場として...
今まで悪態をついた先生方申し訳ありませんでした(´;ω;`)
若気の至りです(´;ω;`)とこの場で謝罪します。デモヒドカッタケドネ
それで、今日の文章も許してください♪
そんな感じで、今日の記事は終わりにします。
読んでいただき、ありがとうございました!
Bright☆石川絵麻
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