色弱だったデザイナーが過ごした10年とこれから
実は色弱だけどデザイナーしてました。
どれくらい色が見えないかというと、以前詳しく検査していただいた時には12段階中でLv11くらいに色が見えなかったので結構キツイほうなんじゃないかなと思います。例えばサクラの花はモノクロに見えています。
この記事は、自身がデザイナーとしてのプロフィールを語るときに「色弱だけどデザイナーやってます」と公言していこうという儀式みたいなものです。
この個性についての特別な知識だったり、安易に「色弱でもデザイナーなれるよ」みたいなエールを伝えられるほどの話じゃないので、こんな人生もあるんだなぁくらいのエッセイとしてお読みください。
ハンデだと思われたくないので隠してました
プロのデザイナーとして12年、「ハンデがあるけど頑張ってます!」みたいな風に見られるのが嫌で、基本的には隠す方向で仕事をしていました。
同期や同年代と同じ土俵で比べられたい!という意地と。一度公表しちゃうと同じ土俵に立てなくなるのでは?という不安が常にありました。
今もう「同世代に負けたくなー」と思わないくらいにはオッサンになったことと。ある程度実績も追いついて来たので、そろそろカミングアウトしても誰も「かわいそう」とか「つかえなそう」とか思われないんじゃないかな?という自信もついたのでこの記事を書きました。
ずっーーと「本が出せるくらいイケてるデザイナーになったらカミングアウトしよう」と思ってたんですが、思ったより時間がかかりました...w。
今思うと何をそんなに悩んでいたんだろう?と思うのですが20代前半は何度か思い悩んで泣くくらいには深刻に捉えていました。
「デザイナー」という仕事に過度な憧れもありましたし、何よりまだ多感な時期でした。
今もまだこの個性を強みだとは思えてはいないのですが、「まぁ食いっぱぐれはしないだろうし、隠し事は少ないほうがいいや」と思えるくらいには向き合えるようになりました。
大学時代「デザイナーは辞めたほうがいい」と言われた
美術系の学校に通っていたのですが、ふとした講義で「色弱の方にはデザイナーは難しい」という話を聞きました。
何気ない話の文脈でしたし、悪意のある発言ではなく本当に進路を心配してのコメントだったのは理解できています。
ただ、それでも若かった自分の心にはグサッと刺さりました。
この時に、意地でも「立派なデザイナーになれたぞ!」と言ってやりたくて、前述のように色弱を隠すことを決めました。
絵の具で自分の手を描く授業では、肌がこんな赤いことを知らなくて真っ青な手を書いてしまって恥をかいたりもしました。
当時の私にとって、サクラは白い花ですし、花火は1色、ポインセチアはただの緑の草だったのですが、それが普通ではないことを思い知らされ愕然としたのを覚えています。
このときの「沸々としたモチベーション」は今の自分を形作る上でものすごく爆発力のあるガソリンになりました。
そういう意味だと、オッサンになった今はこの原体験に感謝をしていたりします。
割とキツかった新人ウェブデザイナー時代
そんな形で社会人になったのですが、ウェブデザイナーとして駆け出しだったときは本当に苦労しました。
新人の頃は先輩のデザインカンプをコーディングするのが主な仕事だったのですが、"赤文字"が"赤文字"だと気づかなくて"黒文字"で実装しちゃったりするのですよね。
緑のボタンが2種類あって、これが別の色だとわからずに既存のカラーパレット1色で実装したら「手抜きするな」と怒られたり。
律儀にカラーピックする癖をつけたら「そういうブレはミスだからうまく吸収して」っと逆のことを言われたり...いまいち「普通の見え方」のニュアンスがわからず苦労しました。
流石にチームのパフォーマンスに関わるので、一部の上司にはこっそり相談していたりしたんですが。結果として普通に扱ってくれたので、修行時代にお世話になった職場には本当に感謝しています。
私とあなたの見えている世界は違う
今思うと「相手の眼に合わせる技術」というのは、私がこの10年で身につけた自慢できるスキルだなっと感じてます。
ウェブはカラーピッカーがあるので便利なのですが、現実世界にはカラーピッカーがないので、Coneというアプリをここ数年は愛用しています。
一度、自分の眼のことを詳しく知りたくて検査に行ったことがあります。
いわゆる普通の色弱検査(ドットの色の円から数字を見つけるあれ)は全然見えないのですが、
色のついたコマを色相順に並べ替えるテストに関しては、正しく満点をとってしまい検査員の方を困惑させてしまいました。
絶対的な色はわからないのですが、訓練のおかげで相対値で細かく色を合わせる能力は後天的に身についていて「これはデザイナーとしての努力の賜物ですね」と感心されてしまいました。
その後、色覚補正メガネなるものを買ってみたのですが、
「普通」が見えるようになりグラフィックデザインが楽になると思っていたら、逆に相対感覚が壊れてしまって困りました。
うまく言い表せないのですが、クオリアがズレる感覚でした。
もともと"白くて美しい"と感じていたサクラが"赤く"なってしまって、これまで抱いていた"美しいと思っていた感覚"とズレてしまうのです。
新しい鮮やかなピンク色も美しいのですが、元々感じてた感情とは違うな...っと。
これまでは旧ピンク色(一般の方が白という色)が好きだったので、「違うものを見て"違う美しさ"を感じてたんだなー」っと改めて認識しました。
『自分の見えてる世界と、他人が見ている世界は違う』
この前提が今の私のデザイン感の多くを形作っています。
相手の眼から体験をデザインする
「色弱だけどデザイナーになりたい!」と息巻いていた自分にとって、「体験をデザインする」という概念があるのは目からウロコの出るような知見でした。
当時は、あまりUXデザインというものがスタンダードではなかったので文献も少なかったのですが、自分の活路はここしか無い!と知識をあさりまくりました。
今思うと、色弱というハンデがあることで、誰よりも早くこの分野に取り組めたのは幸運でした。
デザイナーとして生き残りたい一心で、当時のUXデザインの海外事例などを調べたり実践していました。
当時UXデザイナーがあまりにもデザイナーらしく扱わていていなかったので、分析/アナリティクスチームに異動したりもしましたが、結果的に時代が追いつく形で、デザイン部に戻ってこれました。
色弱の私にとって、UXデザインは海外からきたヒーローのようなものでした。
元々「自分の眼が正しいと思ってない」という自覚があったので、「相手の視点に立ってモノを見る」というマインドセットを長年続けて来たこと。このスタンスがUXデザインのスキルを下支えしていると思っています。
「ユーザー視点から見た組織」といったテーマの本を書いたのも、こういった深い原体験がコアになっています。
人それぞれで違うサクラ色
今一番思うことは、夢だった「デザイナー」として食えててよかったなということです。
しばらくはデザイナーと名乗っていても食いっぱぐれなくて済みそうだな、という安心感を得るのに10年かかりました。
まだまだグラフィックデザインは苦手なんですが、そこらへんの仕事もいい感じに細分化されてきたので、色に強いデザイナーさんと組むことで自分でもやれることが増えました。
こういった出自なので、特に色に強いグラフィックデザイナーさんはとても尊敬しています。
これからはモノクロのサクラを美しいという私自身の感性を大事にしていきます。
そして、人それぞれ違う「自分のサクラ色」を美しいと思う他者の心に寄り添い、共感しながら新しい価値づくりをしていきたいと思っています。
これで肩の荷がひとつおりました、次の10年が楽しみです。
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