拡張する体験設計 画面を抜け出し 現実世界を設計せよ 〜不動産における実際のデザイン事例
体験をデザインするという意味が拡張している
かつて「Webサービスは24時間の奪い合いだ」と言われた時代がありました。限られた時間の中で、どのサイトでインターネットを楽しんでもらうか、という視聴率のような考え方です。テレビや雑誌など他のコンテンツと可処分時間を奪い合っていた時代です。
当時必要とされていた体験のデザインは、いわゆる"画面の上での体験デザイン"でした。ブラウザやアプリを開いて特定のドメインにアクセスした瞬間から体験が始まり、切断されるまでをどう過ごしてもらうかが多くのウェブプロダクトにおける体験デザインの全体像でした。
しかし現在、デジタルやインターネットはリアルな世界と融合し、至るところに偏在するようになりました。このような時代に求められる体験のデザインは、デジタルの画面にとどまらず、リアルな場や人々のコミュニケーション、さらには紙やペンすらも含めた包括的な体験設計です。
特に衣食住というライフスタイルの領域で、この体験設計の考え方が進んでいます。
"住"の領域における体験デザインの事例
現代社会では、デジタル技術の進化があらゆる産業を革新しています。その中で注目しているのは、衣食住の"住"である不動産業界における体験デザインの重要性です。
進まない"住"のデジタル化
不動産業界は長い間、IT活用の遅れと情報の不透明さに苦しんできました。2022年まで、宅建業法により契約書類の書面交付が義務付けられており、取引のデジタル化が大きく制限されていました。また、若手人材の不足によりデジタル人材の確保も困難でした。
データの不足と情報の透明性の欠如も深刻な問題です。不動産取引に必要な物件データや顧客データの蓄積や中央集権化が進んでおらず、多くの不動産事業者を通しての取引履歴が散乱しているため、業界全体でのデータ管理が難しい状況です。
このため、顧客は情報収集を自ら行えず、不動産事業者からの情報提供に頼るしかない状況です。
この情報の非対称性により、住宅は「売ったら売りっぱなし」となり、顧客目線での体験改善に目を向けることがない状態が続いていました。
住の領域をデジタルを"添えて"体験設計する
住まいは常にそこにあり、触れ続ける存在です。住まいという体験において、すでに24時間のうち多くの時間を過ごしているので、デジタルの力を少しでも加え、良い時間を過ごせるようにすることは非常に素敵なことだと私は思います。
デジタルな体験のみを売るのではなく、既存の"住"に関する体験をデジタルでアップデートしようというのが不動産×デザインの面白いところです。この本質的な体験をデザインで向上させることは、非常に楽しく、有意義な挑戦です。
このブログでは、不動産業界が直面する課題と、それを解決するための体験デザインについて事例を中心に語ります。
モノから体験が商品に
不動産業界も、他の多くの業界と同様に、単なるモノ消費から不動産as a Serviceへのサービスシフトが求められています。不動産を単なる商品としてではなく、サービスとして提供することが重要になっていくでしょう。
少し先をいくモビリティの事例
as a Serviceとは、物やサービスを購入して所有するのではなく、ライフスタイルの中で利用することでサービス価値を享受する形態です。利用者は必要なときに必要なだけサービスを利用し、その対価を支払います。
自動車業界では、テスラやトヨタのKINTOのように、車を「所有」するのではなく「利用」するサービス、いわゆるas a Service(aaS)化が進んでいます。テスラは、自動運転機能「Autopilot」やソフトウェアアップデートをサブスクリプションで提供し、常に最新の機能を利用できる環境を整えています。また、独自の充電ネットワーク「Supercharger」を展開し、EV利用の利便性を高めています。
一方、トヨタのKINTOは、車のサブスクリプションサービス「KINTO」を提供しています。これにより、顧客は初期費用を抑え、必要な時に必要な車を利用できます。さらに、「KINTO Unlimited」では、ソフトウェアアップデートによる機能追加やアップグレードも可能です。
これらの事例に共通するのは、ハードウェア(車)だけでなく、ソフトウェアやサービスを組み合わせることで、顧客体験を向上させている点です。所有から利用へのシフトを促し、継続的なアップデートで車の価値を維持・向上させることで、顧客との長期的な関係を構築しています。
ハードウェアとソフトウェア、サービスの融合: 車両本体だけでなく、付加価値の高いサービスを組み合わせることで、顧客体験を向上させる。
所有から利用へのシフト: サブスクリプションモデルなどを通じて、車の所有にこだわらない新しい利用形態を提案する。
継続的なアップデート: ソフトウェアアップデートなどを通じて、車の価値を維持・向上させ、顧客との長期的な関係を構築する。
エコシステムの構築: 充電インフラやコネクテッドサービスなど、車を取り巻くエコシステムを構築し、顧客の利便性を向上させる。
as a Service(aaS)化された体験設計を生み出す
ハードやサービスをかけ合わせた不動産as a Serviceな体験を生み出すためには、サービスモデルの根本的な変革が必要です。単に売って終わりではなく、顧客が家を入手しようと思ってから、手放すまでに発生する様々なイベントやライフスタイルの変化に対応するサービスを提供することが今後求められます。
例えば、不動産の売買では、様々な書類や企業、関係者が関与します。税金や保険、家のトラブルなどのイベントを統合し、データをなめらかに管理するプラットフォームが必要です。これにより、顧客にシームレスな体験を提供することが可能となります。
住むという体験における各種のイベントを個別に最適化するのではなく、それぞれを連続したストーリーとして捉え、その中で顧客の感情や体験を最適化することが重要です。点ではなく線で体験を捉えるためには、ユーザージャーニーを描き、それぞれのイベントをつなぎ合わせる必要があります。そこにエンドユーザーの感情という次元も加え、三次元的なストーリーを描きます。
【事例】
Amazonは、Eコマースの枠を超え、AWS(クラウドサービス)、Amazon Prime(会員制サービス)、Fire TV(ストリーミングデバイス)など、多岐にわたるサービスを提供しています。これにより、顧客はAmazonのエコシステム内で様々なサービスを利用でき、シームレスな体験を得ることができます。
Salesforceは、CRM(顧客関係管理)ソフトウェアを提供するだけでなく、コンサルティングやトレーニング、カスタマーサポートなどのサービスも提供しています。顧客はSalesforceのプラットフォーム上で、営業、マーケティング、カスタマーサービスなどの業務を統合的に管理し、顧客との関係を深めることができます。
コワークで未来をデザインするのが体験設計
現在、私は不動産における煩雑な売買手続きをデジタル化し、不動産事業者の業務効率化と顧客の売買体験を滑らかにするサービスを開発しています。この取り組みは、単なるWebサービスの枠を超え、不動産売買における人と人との手続きやコミュニケーションの形をデザインするものです。そのような意識で私はこのデザイン活動を行っています。
例えば、今日私は2件の顧客インタビューと1件のワークショップを行いました。顧客インタビューでは、業界のアーリーアダプターから貴重なインサイトを得ることができました。彼らの課題や情熱を理解することで、より良いサービスを提供するためのビジョンを明確にしました。また、ワークショップでは、デジタルと紙、リアルと人とのコミュニケーションを統合した新しい体験を不動産事業者と対話し、その世界観への共感を得ることができました。
業界のアーリーアダプターのインタビューを通し業界の課題に寄り添う
インタビューで尋ねるのは機能要求ではありません。
なぜなら、彼らが持っているのは課題や情熱であり、具体的なソリューションではないからです。
彼らの課題や情熱を理解することで、より良いサービスを提供するためのビジョンを明確にできます。業界のアーリーアダプターから得るインサイトや課題感は、私たちと業界に共通のゴールを与えてくれます。この業界と共通のビジョンは、私たちが作るソリューションの正しさを図る羅針盤となります。
プロトタイプが人の心を動かす
私たちはエンドユーザーの目線を忘れずに、時にはソリューションを押し付けることもあります。
常にデジタルと紙、リアルなコミュニケーションを統合したTO-BEモデルを描き、それを実現するためのワクワクするようなプロトタイプを提示します。同じビジョンの上で、それが優れたソリューションであれば、アーリーアダプターたちは喜んで協力してくれます。
このようなアーリーアダプターとのコワークを通じて、本当に良い世界を描いていきます。
ウェブの画面だけではなく業務フローも合わせて整理する
ワークショップなどを通し、デジタルと紙、リアルと人とのコミュニケーションを統合した新しい体験を不動産事業者と対話し、その世界観への共感を得ていきます。
私たちが提供するプロダクトは、単なるデジタルツールではなく、そこにいる従業員やリアルな場、会話や紙などを巻き込み、データの連携を円滑にすることで顧客に幸せな体験を提供するものです。
デジタル技術はその一部であり、全体の体験を構成する重要な要素です。
強力なチーム
この考えを実現するためには、強力なチームが必要です。提案力のある営業、迅速にプロトタイプを作成できるデザイナー、人の動きも含めて要件定義できるエンジニアが揃っています。現在、大手不動産会社とのアライアンスを組み、一緒にものづくりを進めていることがとても重要です。
デジタルとリアルを同等に扱う
不動産領域における体験デザインは、人々の生活を豊かにする力を持っています。業界が抱える課題を克服し、新しいサービスモデルを発明することで、より良いサービスを提供することが可能です。
具体的なアクションとして、不動産業界にデジタルという方法を少しだけ添えながら、顧客の体験を再整理する取り組みを続けることが求められます。
結論:拡張する体験設計の未来、デジタルとリアルの融合
本記事を通じて、「体験をデザインする」という概念がいかに拡張されてきたか、そしてその意義について理解を深めていただけたかと思います。かつては単に画面上の体験デザインが重視されていた時代から、現在ではデジタルとリアルが融合した包括的な体験設計へと進化しています。この進化は特に不動産業界において顕著であり、単なるモノ消費から体験価値の提供へとシフトする必要性が高まっています。
不動産業界はこれまで、IT活用の遅れや情報の不透明さなど、多くの課題に直面してきました。しかし、デジタル技術を駆使してこれらの課題を克服し、顧客にシームレスで幸福な体験を提供することが求められています。デジタルとリアルを融合させた新しい体験設計を通じて、業界全体のビジネスモデルを根本的に変革し、顧客との長期的な関係を築くことが重要です。
私たちは、アーリーアダプターからのインサイトを基に、プロトタイプを通じて具体的なソリューションを提供し続けています。強力なチームと共に、デジタルとリアルを同等に扱う新しいサービスモデルを発明し、不動産業界の未来をデザインしていきます。体験をデザインするという意味が拡張している今、この挑戦はますます重要なものとなっています。現実世界を設計することこそが、これからの体験デザインの真髄です。