出逢いはあきらめた
2022年3月某日。雨。6℃。
新しい出会いに希望を感じなくなっていた。
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久しぶりに「はじめまして」の人、悪く言えばどこの馬の骨かも分からない輩、と会った。友達の友達とはわかっていても、「誰だよ」が結局のところ上回ってしまう。これが根暗たる所以かも。そしてもともとの友達も、別にご飯に行ったことがあるわけではなく、すれ違ったら「よっ」って言うか、気付いていないフリをするくらいの関係性だった。彼らがどう思っていたかはわからないが、これを読んでショック受けてたらごめん。一杯だけだったらまた今度ご馳走するから。
共通点は、4年間同じ体育会に所属して大所帯で寮生活をしながら、それはそれはキツいスポーツをしていたこと。結構近いようで、大学も違えば拠点も違う。最初に彼と知り合ったのも引退まであと半年ほどの頃。3泊4日の交換留学生として彼が遊学に来ていたんだっけか。相当の排気量のエンジンをなぜか頭部に搭載し、そのせいで顔の体積がエラいことになっているが、その凄まじい勢いを頼りに生きているヤツ。そんな印象を持った。大学生のノリで連絡先を交換したのだろうが、それから連絡を取っていたわけでもない。
再会のきっかけは、僕の1つ下の後輩が、彼と同じ就職先を選んだこと。その後輩と三人で会うはずだったのだが、そこに、もう一人の全く知らない彼もいた。後から分かったのだが、僕の後輩が交換留学生として向こうに遊学していた時に、もう一人の彼と仲良く?していたらしかった。自ずと変形したのか自ら変形させたのか、鋭いけど歪んだセンスを、表には出さずとも自負として肉体から漏れ出てしまっているヤツ。そんな印象を受けた。
何を話したか、まるで覚えていない。平日の22時スタートで気づいたら27時だったから。まあ眠かった。まるで大学生みたいな飲み会。でも心地のよい眠気だったような。
気が付けばもう何回も飲みに行っている。何年も前から知っていたような、まるで就職や進学を機に離れ離れになった幼馴染に再会しているかのような、そんな感じ。
20歳を跨ぐ4年もの間、寮生活をしていたせいで、彼もしくは彼女を友達として認定する際の、満たすべき条件がいくぶん厳しくなった気がする。でも実は、集団生活が原因じゃなかったりして。歳を重ねるにつれて、みんなそうだったりして。
ひとまず想像してみてほしい。20歳で、血の繋がっていない他人100人と共同生活をすることを。
ただし、その他人100人は、結構気が合う人が多くて、考え方や価値観も似ていて共有できる、と仮定する。わざわざ大学受験して入学して、わざわざ体育会に入るなんて、そんなバカげたことをする人なんだから、きっと根っこの部分では通ずるところがあるはずである。
そして、この4年間にイベントがたくさん発生するものとする。基本的には辛くて苦しいことばかり。ときには楽しいことも。たまに、気が狂いそうなくらいキツイことも。そしてごく稀に、心臓が止まりそうなくらい嬉しいことも。多感な時期に豊かででも複雑な喜怒哀楽を経験する、あるいは誰かのそれに立ち会う、もしくは誰かとともにそれを摂取する。色んな感情とそれぞれのエゴが、一つ屋根の下でひしめき合って、交錯して、うねりを起こす。気づけば、他人と自分との境界線がぼやけている。だいたい分かるし、だいたい分かられる。話さなくてもいいし聞かなくてもいい。他人が自然と侵入してきて、でもそれには抗えない。逆もまたそう。
言ってしまえば、なかなか贅沢な環境にいた。大学で一度に大勢に出会うのではなく、中学や高校でちょっとずつ数人ずつ出会えていたら、親友として卒業後も濃い関係を続けていけそうな人ばかりだったと思う。当時は、「第二の家族」っていう手垢ベッタベタの表現があって、もちろん僕の手垢も付いていた。側から見たら、結構、いやめっちゃ、イタイ。激イタ。でも僕は好きだったし、心の底から信じていた。言い得て妙だとも思っていた。今は少し薄れちゃったけど。でも今後この比喩を否定したり腐したり無かったことにしたりはしないと思う。ただ実際問題、皆と分け隔てなく密に接して、皆と親しくする、なんてことはできなかった。そんな時間も体力も気力もなかった。だから渋々、付き合う人を選ぶ必要があった。
選り取り見取りだったからこそ、選りすぐりができたからこそ、人を選ぶ目は肥えに肥えたし、他者からの不必要な干渉を隔てる壁もすくすく育った。集団生活の反動から独りの時間や空間を強く求めてしまう、ってのも一因だと思うけど。
贅沢な環境で適用していた基準のまま、荒れ果てた社会に飛び込むと、自分の中における友達センサーみたいなものが役に立たなくなった。自分の中での「友達」、それがいつの間にか、一般的に言うところの「家族もしくはそれに近い何か」、にすりかわってしまっていた。そんな出会いなんて人生で数回あれば幸せなはずなのに。
そんなわけで、新しい出会いに対しても、「ああ、どうせそんな仲良くならないんだろうな」という、どこか諦めにも似た感情をまず抱いている。もしかしたら、今流行りのマッチングアプリを毛嫌いしてるのも、これが理由かも。相手にはとんでもなく失礼だけど。でもちゃんと自分自身も虚しくなっている。決してスカしてたり、カッコつけてたりする訳ではない。身体が「求めすぎてしまう」ようになっただけだ。心が追いつかないのだ。
遠慮、忖度、配慮、、、そういった類の言葉や感覚をたぶん分からない彼らは、ずかずかと土足で上がってきてくれた。同じ境遇を経験していた、っていうのは大きかっただろうけど、それを踏まえた上でもなかなかない、素敵な出逢いをできた。
ほんのたまにこういうことがあるから、出逢いに期待するのをやめられない。
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