令和のマリー=アントワネット
2021年7月某日。雨のち晴れ。27℃。
カッコよくいたい。非凡でいたい。人と違うと思われたい。常日頃そう思って、格好をつける。
そしてその思いは、悲しいかな、空回りしていく。
ディスカウントスーパーでのこと。
買い物かごをお酒とお菓子とカップ麺でパンパンに満たし、レジ列に並んでいた。並ぶといっても、目の前で仕事帰りのOLさんがお釣りを待っているだけで、ほかにお客さんはいない。惣菜コーナーに人がごった返していたのが噓みたいだ。
順番が来た。ピッピッピッと心地よいリズムでバーコードが読み込まれていく。2647が表示される、や否や、古びた財布からよれよれの紙幣と汚れた小銭を取り出す。キャッシュレスの大波に逆らうキャッシュ信者は、PayPayも登録していなければ、クレジットカードさえ作っていないし、今のところ作る予定もない。ちなみに47円には52円を出し、2,647円には3,152円を出すのがキャッシュ教の教えである。それに則り152円を出そうとしたら、1円玉が手からこぼれた。その瞬間、生命を宿しているかのように床をグルグルと駆け回り、そのままの勢いでレジ台と床の隙間に姿をくらました。生き生きした一円玉に見惚れてしまったのかもしれない、疲れていたのかもしれない。分からないけど呆けっとしていたら一円玉を野生に返してしまっていた。
多分、すぐに行動に移せば一円玉を拾い戻すくらいの時間はあったし、会計を待つ人もいなかったから消えた一円玉を探し当てるくらいの時間もあった。けれど、一部始終をレジの店員さんに見られていたことが、もしかしたらレジ袋に商品を詰めていた前の女性にも見られていたかもしれないことが、なぜか途端に恥ずかしくなった。そしてなんとかこの状況を突破するべく取った行動が、お金に余裕のある風を装うことだった。
「一円くらいどうってことないわ」。「自動販売機の下に小銭がないか探し回る乞食みたいなことはしないわよ」。「一旦別れた硬貨と男に未練なんて全くないわ」。「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」。マリー=アントワネットよろしく、隠れた一円玉には目もくれず、新しい一円玉を財布から摘みそっとトレーに置いた。
帰宅して、高級ワイン片手にタルトタタンを嗜む。雨上がりの夕暮れに思いを巡らせる。「大金持ちがそこら辺のスーパーなんか来るわけあるか」。「お金に困っている奴しかディスカウントスーパーなんて利用しねえんだから、人目なんて気にせず泥水すする覚悟で1円玉探せよ」。「一円を笑う者は一円に泣くぞ」。「何カッコつけてんだよ」。「ダサい通り越して寒いわ」。「寝言こいてんじゃねえぞ」。「現実見ろよ」。「バカ」。
いつの間にか、ワインは発泡酒に、タルトタタンはポテトチップスに姿を変えていた。
こういうことがよくある。ちゃんと後悔もするし反省もする。ここまでがセット。