自己犠牲野郎
ココロコネクトというアニメがあった。
思春期の少年少女が奇妙な現象によって、翻弄される。
例えば、外見が変わらないまま、心が入れ替わってしまうとか、そんなことを経ながら人間関係を育んでいくようなそんな内容だったと思う。
そんなことはさておき、この作品の主人公は自己犠牲野郎と呼ばれることがある。
それは内面の一部を極端に捉えた比喩なのだが、どうも自分はその言葉を聞くとゾッとするのだ。
それは、自分がまさにそれだからなのである。
自分が我慢することで、何かが丸く収まるのであれば喜んでやる。
それが自分なのだ。
多分少なからず、同じことを考える読者もいるのではないだろうか?
私はこれは少なからず現代病の一つなのではないかと考えている。
全てが恵まれている現代において、足る以外のことを知らない我々にとって自我というのはもはや自分の中にあるものというよりは社会の一部になってしまっているのだと思う。
衣食足りて、礼節を知るとはよく言ったものだと思う。
こうして、自我を十分に育てることができなくなった現代の日本は外部からの流入を拒むこともできず、侵略を許しているのだ。
それが良いのか悪いのかはわからないが、おかしなことが起こっていることを、おかしいと思わずに見過ごすことは出来ないのだ。
そして、そんな自己犠牲野郎に平気で自己犠牲をさせる、自分が弱者だと信じてやまない不勉強で、努力をしないクソみたいな人間はこの世から滅ぼしてやればいいのだと思う。
弱肉強食良いじゃないか。