日記0215

【春休み18日目】
9時半に起きる、というか起こされる。洗濯物を干す。

sheepD先生の『梅雨チル読本』が届く。いや正確には昨日なんだけど、コンビニ受け取りしたのもこれだし。
ゲーム本編のキャラの設定画とか制服の詳細とか、おまけの書き下ろしイラストやSSが付いていて楽しかった。真帆ちゃんが汐里より小さいの驚いた。続編への応援になればいいなと思って買ったので、どうかお願いします…。

せっかく早く起きたのにあまりに寒くて活動する気力が起きない。

ぼーっとYouTube見てたら突然おすすめにこれが流れてきて、5分34秒とプラス10分ほど放心状態になっていました。システム開発請負事業者の請負の請負の底辺社員になって訳もわからないまま粛清されてぇな。後半歌パートの画面の作りが完全にマジ歌で笑ってしまった。

お昼食べてから少し休憩したら2時間も眠りこけてて家のことも自分のこともやらず完全に時間を無駄にしてしまった。家事が出来なかった罪悪感から下に降りて色々手伝ってたんだけど、父が貴重な休みを買い物で潰されたことが嫌だったのか机の上が散らかっているのが気に入らなかったのか少し不機嫌だった。その場から逃げ出したくなったけど手伝いを必要とされたのでここで逃げたら料理してる母に迷惑がかかると思って手伝った。別に父も直接的にこちらに当たり散らしてくるわけではないんだけど、イライラしてることはわかるのでこちらが一方的に気疲れする。
HSPなのかなと少し思ってるけど、負の感情に敏感なだけで一般的な察しの良さとかそれ以外の感情にはむしろ鈍感な方なので違うような気もする。誰だってその場に不機嫌な人がいたら少なからず自分も影響を受けるものだと思う。ただ、やはり私はそれが人よりも強い傾向にあるような気がする。

少し前に見たこの動画を思い出す。相手が不機嫌だからといって他人の感情をコントロールしようとするのは傲慢であると。自分が何かしたところで、相手の感情をどうにか出来るものではないと。自己と他者の境界線が曖昧な証拠だと。
全くその通りだと思う。だから最近はそういう場面に遭遇したら離れるようにしているし、今日もそうすれば良かったのだ。ただ、疲れている母に押し付けたくなかった。その場にいると決めたのは自分だし、私が居ても居なくても片付けが終わったら機嫌を取り戻していたと思うけど、終わって自室に逃げるように帰ってこうしてnoteを書いて何をしているのだろうと思う。本当に疲れる。相手の不機嫌に他人が干渉できるものではないと頭ではわかっていても、どうしてもこちらも引きずられてしまう。不愉快になる。どうすればいいんだろう。

『君の名前で僕を呼んで』を観た。
イタリアの避暑地で17歳のエリオと大学教授である父の助手のオリヴァーが一夏を共に過ごす話。
冒頭のアプリコットの語源の話興味深かったです。ああいう話もっと知りたい。

お父さんの研究対象が古代ギリシアで、ギリシャ彫刻やらヘラクレイトスの断片やら、同性愛というテーマからも映画全体がギリシア的ですごくワクワクした。
自然の美しさと、人間の欲としての生と、蝿の音や鼻血から感じる死の気配みたいなものが合わさって、ただ「美しい」とだけでは表せないなと思った。

オリヴァーが(エリオに感情移入すると)酷い男だなと思う分、両親やガールフレンドまでも、エリオの周囲が優しすぎる。80年代の話で、それはきっと救いだったと思う。
エリオの父はオリヴァーとエリオの絆を羨ましいと言った、そしてかつて自分も似たような想いを得たとも。少年が青年になるための通過儀礼だったのかな、と感じる。

女を置き去りにした男だけの世界で、私はこれを望ましい、好ましいと思ったけど、自分の性別的にこの絆を本質的に理解することはできないんだろうなと思った。聖域的な、いわゆる男同士にしかわからない世界。自分も百合書くならそういうのを書きたいけど、でも私自身が誰かと特別な、深い仲になったことがないので書けない。性別を問わず、他人にそこまで踏み込めない。

話逸れたけど、ギリシア知識入れてもう一回今度は字幕で観たいなと思いました(吹き替えちょ〜良かった、ツダケンえっちだなぁ…)。モチーフとなったアンドロギュノスの神話はプラトンの饗宴だし、あと考察ブログ読んでたらハイデガーの『存在と時間』も避けて通れなさそう…。

今日は寒くて何の活動もしなかったので233歩でした。明日も外出るかわからないな…。

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