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セクシュアルマイノリティとして伝えたいこと
私は中学生の頃から、集団の中での人間関係に悩むことが多くありました。要因として考えられることはいくつかありますが、今回は、セクシュアルマイノリティからの観点で気づいたことをお話しさせていただきます。
性の自己分析
ここ数年はジェンダーについて取り上げるメディアが増え、性の在り方を改める機会が多くなったかと思います。私も、そのうちのひとりです。
自分の性を考察するにあたり、「性の在り方を決める要素」が参考になりました。4つの要素それぞれで、自分が女性または男性寄りなのか、もしくは両方なのか、もしくはどちらでもないのか。自分らしくいられるのはどんなときか。
自分を見つめ直すために必要不可欠な観点だったと、気持ちが落ち着いた今だからこそ強く感じます。
【性の在り方を決める4つの要素】
①からだの性(戸籍などの性)…出生後、主に医師が性別を判断
②性自認(こころの性)…自分をどのような性別と捉えるかという内的な感じ方
③性的指向(好きになる性)…好きになる感情がどの性別に向いているか
④性表現(表現する性)…言葉遣い・服装・振る舞いなど
現在の私は、以下のような感じ方が近いかと思います。
①女性
②Xジェンダー両性(女性でも男性でもある)
③条件により変動 かつアロマンティック・アセクシュアル
④女性寄り
私は女性として産まれ育ちました。そのことに違和感はありません。
ですが、女性としての在り方、人としての在り方、そして人としての愛の在り方に違和感を抱くことが多くありました。一言で表すなら「価値観の違い」が近いのかなと思います。
①④は外見から判断しやすい部分ですが、私の場合は9割以上女性です。そのため、今まで「セクシュアルマイノリティの悩み」と認識したことはなく、人と価値観がずれていることでトラブルになることを悩んでいました。
likeともloveとも違う「好き」?
「好き」という言葉は単純明快で、共感を一言で表すことができます。それゆえに、人と人とを繋げる強いパワーがあると思います。
しかし、掘り下げると「好き」の意味は星の数ほどあり、共感していると誤解することもあります。私は、自分の思う「好き」が周りの人とずれていることにずっと気がつきませんでした。気がつかないままお付き合いをして、相手に不快な思いをさせて別れたことが何回かあり、なぜこんなにも気持ちが噛み合わないのかわかりませんでした。
ヒントを教えてくださったのが、NHKのドラマ「恋せぬふたり」です。
恋愛無しで家族になれるのか、というテーマに興味が湧き、今後の人生の参考にできるかなーくらいの軽い気持ちで見始めたのですが。
アロマンティック・アセクシャル!?
衝撃でした。そんな考え方が、あったとは。
主人公の2人が感じている、いわゆるアロマアセクあるあるは、私が抱いてきた違和感とぴったり合致しました。家族も好き、友達も好き。付き合いたい特別な好きって何?好きに上下をつけるの?そんなモヤモヤを吸い込んで浄化してもらえたような気がしました。
私が願う「あたりまえ」
私は、どんな性であっても「気にしなくて済む」世の中になったら良いなと思っています。
マイノリティの方が「差別されている」と感じるのはもちろん良くないのですが、「差別をやめて」と主張している世の中になってしまうと、少数派は丁重に扱う対象だと見られてしまいます。それでは特別視されている現状に変わりありません。
だれがどんな色を好きであっても自由です。それに対し軽蔑する人も、「私はこの色が好きなんだから認めてよ」と主張する人も、そういるものではありません。
自分の性も自由であるのが当たり前で、周りの人の目線や意見を気にする必要がなくなったら、集団にいて苦しいことが減るのかなと思います。
もう少し贅沢をいうなら、「女性はこういうもの」「男性だからこうするべき」などの固定観念を気にせずいられる世の中になったら良いなと思っています。
例えば、女性は「同姓で仲良く集まる」傾向がありますが、同姓でも無理に群れなくても良いし、異性が仲良く集まっても良いと思うのです。そもそも性別の壁を外せるのなら、異性(同姓)だからと気にする必要すらなくなります。
男性は「レディーファーストで動くのが紳士的」「男性側が率先して動くべき」と思われる傾向がありますが、同じ人間なのだから、お互いを尊重してベストな方を優先すれば良いと思うのです。その判断は一般論に振り回されるものではなく、個人の間での価値観で決めることだと思います。
ただ、人間を男性と女性に分けることで秩序を保っている場所があること、法律で守られていることも事実です。全く壁を作らないのも難しいのでしょう。
だからこそ「気にしなくても済む」くらいがちょうど良いのかなと思っています。
必要なときは男性または女性と申告するけれども、実際のプロフィールは……と自己紹介できるのが当たり前な世界。戸籍の住所は○○県□□市だけど、心の故郷は……くらいのニュアンスでしょうか。
私は体裁ではマジョリティーですが、人同士の関係性ではマイノリティーです。私の場合、「こう在りたい」を態度ではっきり示すことで、空気が読めない人だと思われてしまうことが多くありました。自分らしくあることと、自分勝手であることは紙一重です。その線引きは人や環境によって異なるので、自分が不快な思いをしないためには、経験を積んで匙加減を覚えていくしかありません。
もし私の経験や考え方を伝えることで、誰かの経験の代わりになるのなら。あわよくば、救いになるのなら。まだ伝え方を見定めることはできていませんが、言葉にしていく中で、プラスになる要素を見つけられたらと思っています。
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