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イブキちゃんの聖書入門#60 「迷える子羊とは?」

"私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。"
イザヤ書 53章6節


★野生不適格

⭐︎有名なキリスト教関連の言葉に「迷える子羊たち」というものがあると思います。

この場合の「迷える子羊」とは、「悩みを抱えている人・問題に対する解決を求めている人」という意味で一般的には捉えられているかと思われます。

しかし、多少なりとも「キリスト教」と呼ばれるものに造詣がある人ならば、「迷える子羊」とは「特定の人々」を指すのではなく、「神から見たこの世界に生きる全ての人々」のことだと理解が及んでいるのかも知れません。

⭐︎聖書ではよく人間を「羊」に例えます。

聖書の見立てでは、本人がそう自覚しているかどうかに関わらず、全人類は例外なく「羊のように彷徨っている状態にある」とされています。

羊とはどのような動物でしょうか?

「白いふわふわな毛で覆われている」ことを抜かして、その特徴を挙げてみたいと思います。

1:群れる
(群れから離れると、不安で死んでしまう)

2:臆病
(ちょっとした物音にも敏感で、驚くことがあると散り散りに逃げてしまう)

3:ストレスに弱い
(外傷がなくても、ストレスでショック死してしまうことがある)

4:物理的に弱い
(太りすぎると動けなくなる。また外敵に対して、これと言った攻撃手段を持っていない)

5:視力が悪い
(視野は広いが、近いものしか見えない)

6:方向音痴
(自分の来た道がわかっていない)

7:主体性と判断力に欠ける
(盲目的に他の羊に付いて行く)

8:それでいて、肉が美味しい
(だから余計に外敵から狙われやすい)

羊のネガティヴキャンペーンをしたい訳ではありませんが、以上のような特徴を鑑みると、羊は非常に手の掛かる動物であることがわかるかと思います。

羊は群れていなければストレスで死んでしまうのにも関わらず、ちょっとしたことで群れからはぐれてしまう危険性を常に宿しています。

外敵に対しては無力で、肉食動物にとっては格好のターゲットになっています。

人間の導き手(牧者・羊飼い)がいなければ、羊はすぐに絶滅していてもおかしくない動物だと思える程です。

もしかしたら、人間という世話役・管理者の存在を前提として、羊という種は創造されたのかも知れません。

★主は私の羊飼い

⭐︎羊には羊飼いが必要です。

何故、聖書は人間を羊に例えるのか。

それは実際の羊飼いと羊の関係が、そのまま神と人間の関係に適用されるからです。

ある人々は、自分には何も問題がない、これでOKなんだ、神の助けなんか必要がない、と思い込んでいます。

しかし、聖書は、そうではない、人間は皆例外なく羊のようなのだ、弱い羊、迷える子羊であり、キリストという牧者が必要なのだ、と語り掛けています。

確かに、いわゆる「強い人」はいます。
肉体的に、また精神的にも強く、自分の力で問題や困難を解決し、社会の荒波を生き抜いている人です。

しかしそのような人でも、聖書によればアダム以来の罪の性質(原罪)を受け継ぐ1人の罪人であり、その罪の結果である死を、いずれは身に受けなければならない道すがらにあります。

誰一人として死に抗える者はいません。

全ての人は生まれながらに、命の根源である、自身の造り主である神から離れた彷徨える状態にあるのです。

⭐︎しかし、聖書の神は愛そのものの神です。

神はその死という暗闇に突き進む私たちを、本来歩むべき光の道、つまり「神と共に歩む人間本来の道」へと導く為に、神ご自身が「牧者」となり、この地上に降誕することを選択されました。

その神の「牧者」としての姿こそが、イエス・キリストなのです。

"わたし(イエス・キリスト)は良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。"
ヨハネの福音書 10章11節

「羊たちのためにいのちを捨てる」とは、「罪人の罪を清算する為に十字架刑によって死なれる」という意味です。

罪が一切ない神であるイエス・キリストが、罪人の罪を全て背負って罪人の代わりに十字架刑で処罰される、そのことによって全人類に罪と死の解決が用意されました。

そして神は死では終わらず、キリストは埋葬から3日目に墓から復活され、死に対して完全な勝利を示されました。

この『イエス・キリストの福音』を信じる者は誰でも、神が人間に本来与えられた「神と共に歩む光の道」を歩むことが出来ます。

それは聖書では「永遠のいのち」とも言い換えられ、福音を信じた直後から始まる「人間本来のいのち」です。

この地上での日々の生活においても、神の導きを受け、神によって霊的に成長し、また肉体の死の後に神と共に永遠の時を安らぐことが出来る具体的な祝福です。

それまで絶望的に欠けていた心の重要なピースが綺麗に埋まる、この世の何物をもってしてでも手に入れることが出来ない至上の喜びを体験出来るのです。

⭐︎本当の「良い牧者」は命懸けで羊を守ります。

どうか今、あなたも、あなたの為に命を捨てられたイエス・キリストをご自身の牧者としてその心に迎え、神の確かな守りと導きの中で生きる祝福を味わってみませんか。

心よりお勧め致します。

"主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。
たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖それが私の慰めです。
私の敵をよそにあなたは私の前に食卓を整え頭に香油を注いでくださいます。私の杯はあふれています。
まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。"
詩篇 23篇1~6節


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