イブキちゃんの聖書入門#65 「クリスチャンの男女交際②」
☆「あのね、こういうことは、まだクリスチャンではないあなたたちに言うのはおかしなことかも知れないし、古い価値観の人間だ、と思われるかも知れないけど、やっぱり同棲しているっていうのは聖書的に良くないことだと思うの。
神様の前で夫婦と認められる状態になってから、初めて男女が同じ屋根の下で暮らす、それが結局は誰にとっても幸せなことだと思うのよ」。
Y女史との「愛の巣」に戻ってからも、私の耳にはSさんのその声が果てしなくリフレインしていました。
私は2階で漫画のネームを描き、その下ではY女史が2匹の飼い猫の傍でタイ式のヨガ体操に没頭していました。
そのヨガ体操に一区切りつくと、Y女史は夕食の支度を始めます。
この頃のY女史はスピリチュアル系に傾倒しており、良く言えばオーガニック、悪く言えば味気が全くない、味がないだけならまだしも、意味不明な臭みを放つ料理を当然のようにこしらえていました。
「前はこんなんじゃなかったのにな…」
と心の中で悪態をつきながら、私はそれでも作ってくれたことには感謝をして、どうにか目に前のスピリチュアル料理(キムチの臭みだけがかおる赤いお粥)を口に詰め込みました。
向かい合うY女史を見ると、彼女も「ま、不味くなんかないんだからね!」とでも言いたげに精一杯のすまし顔を作って、それでも苦痛を隠し切れずに食していました。
正直、猫のエサの方が余程美味そうに思える。
「何の修行なんだ、これは」
とてもではないが完食は出来ず、不機嫌になった私は食べ残しをさっさとシンクに持って行き、「頼むから食べれるものを作ってくれ」と反撃のつぶやきを残して2階へ戻りました。
これでY女史も不機嫌になる。
自分の存在そのものを否定されたように感じてしまうかも知れない。
それでもいいや、構わない、と私は空腹を満たすことが出来なかったフラストレーションにかき回されながら、人気漫画家になるという野望実現に向けて机に向かうのでした。
☆「愛の巣」は元々、Y女史の母親が住んでいた一軒家でした。
しかしその彼女の母親は、私と彼女が付き合い始めてから直ぐに癌で亡くなり、それならば、ということで、主を失ったその家を私と彼女の同棲生活の場としたのです。
最初の内は、本当に新婚生活をしているようで、それなりに楽しく暮らしていました。
夜遅くまでそれぞれの仕事をし、一緒にドライブをし、買い物をし、空の色が昨日と違うというだけで笑い合っていました。
私も彼女も、いつか必ず自身の夢と野望が実現することを信じて疑いませんでした。
しかしその舞台となった屋敷は今や、妥協とマンネリとゴミとスピリチュアルな異臭にまみれるようになってしまっていたのです。
そもそも、何故私がY女史と同棲しようとしたのか、と言えば、当然、彼女との結婚を考えてのことでした。
言わずもがな、彼女も私と同じ気持ちで、近い将来の結婚を考えているものだと、私は思い込んでいました。
しかし、Y女史は全くそのつもりがない、それは同棲生活を続けて行く内に明らかになりました。
私が結婚に関連したことを口にすれば、彼女は「重い」と言うのです。
☆教会に通い始めてから、聖書の内容やキリスト教の教理については全く理解出来ないながらも、そこに集うクリスチャンたちとの繋がりに、私はいつしか実家以上の安らぎを覚えるようになっていました。
と同時に、「もし本当に神がおられるなら、それは聖書の神のことかも知れない。だとすると、その神を…つまり、『従うべき真のボス』を知らずに、無視して生きて来た俺は、かなりヤバい状態なんじゃないのか?神に敵対する偽物の世界に、俺は今まで生きているんじゃないのか?」と思うようになりました。
その矢先に、Sさんの「同棲は聖書的ではない。神様は喜ばれない」という勧告を受けたのです。
Y女史もある時期までは私と一緒に毎週日曜日、その教会に顔を出していました。
が、しかし、Sさんを始め、クリスチャンとの交流が深まれば深まる程、逆に彼女は教会から遠退いて行きました。
遂には私一人で、教会に行くようになりました。
「キリストこそ、神だ、救い主だ」
そのような確信と喜びを持って「愛の巣」に戻ると、Y女史は「そんな狭い考え方は受け入れられない。みんな、それぞれが『自分の神』を持てばいいじゃない。私は私の神様を信じたい」とかつてない程の嫌悪感を露わにして言い放ちました。
そしてこれ見よがしに、Y女史は彼女の亡くなった母親の位牌がある仏間に行き、神棚に向かって手を合わせるのです。
「これ以上は無理だな。彼女とこの生活を続けて行く事は出来ない」
私は同棲生活の終焉を、芽生え始めたキリストへの信仰と同程度の確かさを持って感じ取ったのでした。
※次回「クリスチャンの男女交際③」へ続きます。