イブキちゃんの聖書入門 #4「全人類は罪人?」
「ご覧ください。私は咎(とが)ある者として生まれ、罪ある者として、母は私を身ごもりました。」
(詩篇 51篇5節)
私たち日本人が「罪」という言葉を聞いて、通常、何を連想するでしょうか?
恐らく、警察に逮捕されて牢獄に入れられている姿であったり、社会規範に反する何かしらの悪いこと、つまり犯罪行為をイメージするかと思います。
「罪?私は警察に捕まったことはないから犯罪者じゃないよ」、「逮捕されたあの人は罪ある人だ」と考える傾向が私たちにあるのではないでしょうか。
しかし、聖書が語る「罪」とは、「外面的な犯罪行為」ではなく「内面の状態」のことを指しています。
「罪を犯したから罪人」なのではなく、「罪を犯す性質があるから罪人」なのです。
「嘘をついた行為の故にその人は嘘つきになる」のではなく、「嘘をつく、という性質を元から内側に宿している故に、その人は嘘つきになる」のです。
このような「人間の内面にある罪の性質」を、聖書は「原罪」と呼んでいます。
(厳密に言えば、聖書の中で「原罪」という単語は登場しません。しかし、上記の聖書箇所のように、その概念を指し示している言葉が聖書には多く記されています)。
ではその「原罪」はどのようにして私たちの内側に入って来たのでしょうか?
それを説明するには、神が造られた最初の人間、アダムにまで遡らなければなりません。
神は罪を作られないお方ですので、創造された当初のアダムは罪のない状態でした。
「罪が何たるかを知っていて、罪を犯さない」のではなく、「罪そのものを知らない無垢な赤ちゃんのような状態」でした。
しかし、ある時、アダムは悪魔の誘惑によって、結果として罪を犯してしまいます。
その瞬間、アダムは「罪人」となり、それまで彼の内側になかった「罪の性質」が埋め込まれてしまいます。
罪とは「神の性質に反する全てのこと」です。
その「神に反逆する性質」、いわば「原罪」が、アダムの子どもたちに、そしてその子どもたちにへと、両親を通じて今の私たちに受け継がれて来ているのです。上の聖書箇所は、実にそのことを歌っているのです。
聖書は「罪の報酬は死である」と宣言しています。
そして、「すべての人は生まれながらに罪人であり、自分で自分を『罪のない者』とすることはできない。自力救済は不可能である」と教えています。
ですので、全ての人が例外なくイエス・キリストの福音が必要なのです。
原罪のないイエス・キリストのみが、あなたを神のもとへと導きます。