イブキちゃんの聖書入門 #12「父なる神とは?」
「そのとき(イエスが十字架につけられる時)、イエスはこう言われた。
『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。』」
(ルカの福音書 23章34節)
⭐︎さて、今回は三位一体の神の第一の位格(ペルソナ)である『父なる神』について焦点を当ててみたいと思います。
少しおさらいとなりますが、三位一体とは「神が三つ子のように三体存在する」とか、「一体の神が見え方や状況によって三体のようになる」とか、そういう意味ではありません。
聖書が主張する宇宙の創造主、神はあくまでもお一人であって、しかし独立した3つの位格(神としての存在)があり、それぞれの役割を担っておられるのです。
神は私たち神に反逆する人間を愛し、永遠の滅び(地獄)から救おうとされておられるのですが、その人類の救いのご計画には、この三位一体のすべての位格が関わっています。
どういうことかと言うと、
1:父なる神が人類の救いをご計画し、
2:子なる神キリストがそれを実行し、
3:聖霊なる神がその働きを助ける。
ということなのです。
⭐︎ところで、皆さんはアーネスト・ヘミングウェイという小説家をご存知でしょうか。
『老人と海』などの作品で知られ、1954年にはノーベル文学賞も受賞した作家です。
またヘミングウェイは、一方で強固な無神論者としても知られています。
と同時に、彼は父親との関係に相当難があったともされています。
ヘミングウェイだけではなく、歴史上、聖書に強烈に反対して来た無神論者のほぼ全ては、自身の父親に対して、人並みならぬ何かしらの失望や敵意、幻滅、喪失感を抱いているそうです。
確かに、親、特に父親との関係が全く健全である、という人は少ないのかも知れません。
誰しもが、何かしらの傷を親から受けています。
しかし著名な無神論者がほぼ一致して、「父親との関係が破綻している」という特徴を有しているのは、偶然ではないと思います。
恐らく、特にキリスト教国とされる国で育ち、父との関係で傷付いた人は、この聖書が「父と子の関係」を「三位一体の神の姿」として示していることに、また聖書の中で信頼すべき神を「父」として言い表していることに、根源的な反発心や不快感を覚えるのではないでしょうか。
そしてその思いがその人を無神論へと駆り立ててしまうのでしょう。
「父」という言葉に内包されている力は、それほどに強いのです。
⭐︎では何故、神はご自身を「父なる神」として私たち人間に啓示されたのでしょうか?
これは聖書の神が「男だ」と言っているのではありません。
聖書の神には性別とされるものはありません。聖書の中には神のご性質を女性的(母親的)なイメージで描写している箇所もあります。
神が「父なる神」としての啓示を採用されたことの背後には、ご自身を偶像の神々と明確に区別させる目的もあったかと思われます。
聖書の神は第一義的にはイスラエル民族にご自身を現わされた神です。
古代の中近東において、イスラエル民族を取り囲んでいた民族は、ほぼ例外なく、豊穣や多産を司る女神をまつっていました。またその女神の礼拝や祭りには、大抵、性的な不道徳や、時には子供を火にくべる人身供養などの儀式も伴っていました。
言葉と実体は密接に繋がっています。
イスラエルに現わされた本当の神は、それら人間の欲望を叶えるために人の手によって作られた偶像とは別次元の存在であり、そのような邪悪な偶像礼拝と真の礼拝とが混合させないためにも、またイスラエルの民を堕落した慣習から守るためにも、恐らく神は「父なる神」という啓示を用いられたのでしょう。
またそれ以上に、神が望まれる人間社会のあるべき姿を教えるため、というより普遍的な理由がそこにあるかと思います。
人間社会の最小単位は家族です。
そして家族を家族として成り立たせる根幹の繋がりは、夫婦関係です。
最初の人間が女性のイヴではなく、男性のアダムであったように、先ず夫が存在してこそ妻が存在し、男(夫、父)という軸があるからこそ、夫婦関係、またそれに続く親子関係が成り立ち得るのです。
(これは男尊女卑を礼賛しているものではありません。聖書が示す創造の秩序を語らせて頂いているだけであり、その聖書的価値観から見れば、男女ともに役割の違いはあれど、存在価値は平等です。むしろ、聖書ほど女性の価値を正当に評価している書物はありません)。
それ故に、聖書的世界観に立てば、男の責任は常に重大であり、家庭における「父」という権威が権威として正常に保たれることに、人間社会の本来の調和があることが見えてきます。
父権が崩壊したところに、親子関係、夫婦関係の崩壊があり、社会の崩壊があることを、この宇宙を造られた神は十分にご存知なのです。
また一方で、聖書の原則から言えば、子供にも、親の権威、父権を無条件で認める責任があります。
そのような子供が、やがて親となり、次世代の家庭、社会を築いて行くからです。
かの有名なモーセの十戒に「あなたの父母を敬え」という命令があり、それが新約聖書においても重要な戒めとして繰り返し出て来るのですが、それは必然性をもって与えられた「神の願い」と言えるのです。
父母を大切にする人には大きな祝福が待っています。
逆に父母を蔑ろにするならば、その人は決して幸せにはなれません。
それこそが聖書が啓示する絶対的な人間社会の秩序であり、全ての人に適用される真実なのです。
神がご自身を「父なる神」として私たちに啓示されたという事実は深遠です。
そこには、父と子の健全な繋がりを得ることこそが人間の生きる道であるということ、究極的には全人類の父である聖書の神に立ち返ることこそが、永遠の命を得る道であるという神からの訴えがあるかのようです。
⭐︎ではどのように人は父なる神のもとに立ち返ったら良いのでしょうか?
どのようにすれば父なる神と本来の親子関係を築けるのでしょうか?
それは努力や修行ではなく、神と取引きをするのではなく、ただ子なる神、イエス・キリストの福音を信じる、その信仰によって、またその信仰を通して働く神の恵みによってなされます。
★イエス・キリストの福音とは、
1:神であるキリストが人となり、あなたの罪の身代わりとなって、あなたが受けるべき罪の裁きを十字架の上で受けて下さった、ということ
2:そのキリストは肉体的に完全に死に、墓に葬られた、ということ
3:しかし神は死では終わらず、約束通り、3日の後に墓から復活された、ということ
そのことを信じることによって、例え命の灯が消える1秒前であったとしても、あなたは「神の子ども」とされます。
神の子どもとされたのであるならば、あなたは親である神と、肉体の死後も永遠に平安に包まれて生きることができます。
それがいわゆる、永遠の命、「天国」です。
その逆、つまり永遠に親から切り離される状態が、永遠の滅び、「地獄」なのです。
⭐︎ヘミングウェイの父親は拳銃で自殺をしてしまったそうです。
その父に幻滅していたヘミングウェイ本人も、最期は精神を病みライフル銃で自死しました。
亡くなる瞬間のことはわかりませんが、少なくともヘミングウェイはその生涯を無神論者で通したようです。
親子の関係の破壊が、聖書の神に対する不信につながり、それがその人を福音から遠ざけ、永遠の滅びをその身に招いているのだとしたら、これ以上の悲劇はありません。
多くの無神論者は、残念ながら、救いの手を差し伸ばしておられる父なる神の影におびえながら生きているようにしか見えないのです。
地上の親は、確かに完全ではありません。
例外もあることは十分に承知していますが、しかし一般論として、親は子供を愛しているはずです。
赤の他人はあなたを見捨てても、親はあなたを見捨てないはずです。
ひどい親でも、何か一つは親らしい無償の愛の行為があったはずですし、そのような思い出があなたにもあるはずです。
親はいつの時でも、例えあなたがどのような状態であったとしても、絶対的にあなたの味方です。
地上の親ですらそうであるならば、天の完全な親である神はなおさら、あなたを深い、筆舌しがたいほどの愛で包んでくださっておられます。
どうかそのあなたの魂の親である聖書の神に、イエス・キリストの福音を信じる、その信仰を通して立ち返ってください。
心よりお勧めいたします。